さて、No.2739でうしなー社交街を訪れ、この地方では闘牛場のことをウシナーと呼ぶことを学びましたが、ここ”まつぼっくり公園”もウシナーだった歴史を持つ小公園です。
そのへんのことは、地区公民館横の中心的な公園ということもあって、地区のいわれ、歴史、有形文化財、祭り、等々、やたらと情報量が多く内容も濃い解説板に記されています。
すべて引用すると長すぎるので、今回はウシナーのことにポイントを絞って引用。
■現地の解説板よりウシナー(闘牛場)跡
闘牛大会の運営は各集落の牛頭(ウシガシラ)と評議員が各戸を巡回して、牛の大きさや性格などの資質を調べ、各大会で12~13組を対戦させました。勝負は一方の牛が舌を出したら負けと判定し、傷を負わせることはなく、あくまで農村の娯楽として行われました。勝った牛には褒美として手拭やムンジュル笠が与えられ、持ち主や親戚・知人はウシナーに飛び出てカチャーシーを乱舞しました。愛知では1915(大正4)年に牛組合が所有するウシナーが開設され、夏から秋にかけて毎月行われました。
現在の園内は、おおざっぱには、元ウシナーだったと思われる広場と、その奥の小さなマツ山とで構成されています。
少し角度を変えると、右手に白い公民館の建物も入ってきます。
このように一体配置ですので、闘牛はさておき、いまも地区のお祭りに、エイサー練習にと公園が使い倒されているのではないかと思います。
公民館の横手に、なにか見慣れないものがあったので近づいてみました。
マツの木に偽装したこれは照明灯では無さそうなので、「ボードもリングもなくなってしまったバスケットゴールなのでは」と考えてみます。
子供たちが遊ぶうえまったく意味がありませんが、マツ山が名物の公園として、コンクリート擬木へのこだわりが感じられます。
それでは、名物の名残を伝えるマツ山に向かってみましょう。
ここには、マツ山の傾斜を使ったロング滑り台、巨木に偽装した複合遊具やトイレなどがあります。
手前にあるトイレの壁には、リスの形の透かし彫り。沖縄にはリスは生息しませんが、こんなところに隠れていました。
もう少し進むと、沖縄の古民家風の四阿があって、その奥に複合遊具、さらに奥にロング滑り台。複合遊具と滑り台とは、直接には繋がっていません。
四阿の柱や梁、外にある公園灯のポール、その横の水飲み場、そして四阿や水飲み場の土台まで、すべてコンクリート擬木が使われているこだわりの一角。
立木風、丸太風、板風、切株風など多種多様なものがあり、沖縄のコンクリート擬木の技術力を見せつけてきます。
そして巨木に偽装した複合遊具ですが、直径5メートルくらいはありそうな巨木の中が空洞で階段やネット遊具になっていて、2階から外に出るとデッキがあってスパイラル滑り台、外にはブランコが付いているという構造です。
中の空洞部はこんな感じ。構造上、どうしても砂っぽく・湿っぽくなりがちなので、一度くらい高圧洗浄できれいに掃除したいところです。
この白く樹皮がめくれたところは何なのでしょうか。松ヤニが垂れている?
手すりが途切れていた箇所を無理やり塞いでいるのは、きっと外向けにネット遊具などがあったのを取り外した名残でしょう
そしてマツ山の高さに、さらに塔屋を突き出すことで高さ・長さを稼いだロング滑り台。ここでも塔屋部分は擬木がふんだんに使われています。
ただし、訪ねた時は使用停止中でした。
マツ山の頂部はきれいに掃除されており、この時はまつぼっくりは全然落ちていませんでした。
そしてマツ山の横手に、はじめに入ってきたウシのいた出入口のほかに、もうひとつ、北側の国道330号に繋がる出入口があるのですが、訪ねた時は工事中で通れませんでした。
どうも道沿いの急斜面が崩れたようで、けっこう大掛かりな復旧工事です。訪ねてから半年が経つので、もう工事が終わって通れるようになっているでしょうか。
マツとウシ、そしてコンクリート擬木。
ストロングポイントがはっきりしているまつぼっくり公園でした。
(2024年3月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿