3608/1000 中瀬公園(宮城県石巻市)

2024/04/28

宮城県 石巻市 川辺の公園

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中瀬公園は、その名の通り旧北上川の河口近くにある全長約650メートルの中瀬(川中島)を、ほぼ丸ごと公園にしたものです。ただし南半分は、この時はまだ整備中だったので、石ノ森萬画館がある北半分を訪ねます。

ちなみに、工事中の範囲も含めた中瀬のほぼ全景は、No.3572 日和山公園の回に川村孫兵衛重吉とともに登場済み。奥の方の地面が緑に見えるところが開園済みの区域、手前の土色のところが工事中の区域です。

石巻市策定『中瀬公園基本計画』に掲載されていた昭和30年代の中瀬地区の写真には造船所等多くの建物がひしめきあう昭和30年代の中瀬(『俯瞰八景』より抜粋)」とあります。

石巻市策定『中瀬公園基本計画』より

震災前の時点で、上写真に架かる橋近くには大きな造船所が撤退した跡地を使って石ノ森萬画館を中心とした中瀬公園(旧公園区域)がすでに開園していたのですが、それ以外は造船所や古い劇場(映画館)等も残る住工混在の町になっていました。
それらが津波によってほぼ全て流されてしまい、地盤沈下等もあったために、改めて人が住むには危険な区域だと判断されたことから、島全体に公園区域を拡大し、整備し直す事業が進行中なのです。

ちなみに、No.3607で引用した石巻出身のマンガ家・たなか亜希夫『リバーエンド・カフェ』は、震災から数年後、すべてが流され荒野のようになった中瀬に一軒だけ建つカフェが舞台となる物語です。
いまは公園工事中なわけですが、地震と津波で故郷の風景を失い、変わり果てた姿にも少し慣れてきた頃に、また復興事業で風景が変わっていくというのは、なかなかやるせないものです。

たなか亜希夫『リバーエンド・カフェ』1巻(双葉社)より

さて、観光客で賑わう石ノ森萬画館を南に出ると、スタンド状になった芝生席から公園が始まります。

そこから開園区域のおおむね全体像。左端の方の舗装道路が盛土で少し高くなっており、その両側が低くなって、公園の広場などになっています。
舗装道路は、今は工事車両が通るので車道仕立てですが、全面開園する時には、もう少し周りに馴染む園路仕立てになるのではと思います。

上写真を撮影した芝生スタンドから、そのまま真横の方に移動したあたりに建つのが、旧・石巻ハリストス正教会。元々は市街地にあったものが、1978年(昭和53年)の宮城県沖地震で被害を受け、教会堂としては建て替えられる事になったため、旧建物が市に譲り渡されて公園内に移設・修復されました。
東日本大震災の津波では、中洲内の多くの建物が流出する中でなんとか持ちこたえたものの、建物としては危険だったために一度は解体され、復元されたのが現在の姿。以前よりも少し嵩上げされた地盤上にありますが、直近の外構部分はまだ整備途中のため、赤コーンで囲まれています。

そして再び広場側。撮影時の光線の都合で反対向きからになりましたが、芝生広場の南には人工芝の広場が繋がっています。
人工芝ですが、とくに球技場のような仕立てにはなっていませんので、石巻市民の皆さんが実際どのように使い分けているのかは不明です。

人工芝広場の横には、複合遊具が2基。どちらもそこそこ大きなものですが、この広い公園にあると、それほど大きくは見えません。
ちなみに、工事用道路を挟んだ反対側の遠くにも小さく別の複合遊具が見えていますが、この訪問時には工事中で、近づくことができませんでした。

子供たちの利用はこの遊具の周りが中心になるのでしょうが、もともと建て込んだ市街地だったからか大きな樹が少なく、夏場は暑くて大変だろうと思います。

さらに人工芝広場の南には、アスファルト舗装の広場。バスケットコートがあって遊べるようになっていますが、イベント時などは臨時駐車場に早変わりするのではないかと思います。

そして、ここから南は、まだまだ工事中。造成もまだ途中といったところで、あと数年はかかりそうですが、完成するとかつての造船所跡の船揚場の形状を活かした親水空間などが作られるようです。

また全体ができあがった頃に再訪してみたい中瀬公園でした。

(2023年11月訪問)

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