3595/1000 川和富士公園(横浜市都筑区)

2024/04/05

横浜市都筑区 神奈川県 身近な公園 盛土山

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横浜市都筑区の丘陵地に広がる港北ニュータウンは、東京都心部から直線距離で約20kmほど西に離れ、その分だけ富士山に近づきます。そのためか村々で富士信仰が盛んだったそうで、昭和中期のニュータウン開発以前には各地に富士塚があったそうです。

ニュータウン開発によって消失した富士塚も多い中、あえて公園内の盛土山として再整備したのが、川和(かわわ)富士公園です。

川和は付近の旧村名で、1939年(昭和14年)に横浜市に編入されてからは川和町として名前を残しています。
そこにあった旧・川和富士については、近隣の自治会のHPに詳しく記載されていました。

港北ニュ-タウン地区内とその周辺には、富士信仰に根ざした人工の富士塚が数多く点在している。
その昔、霊峰富士に参拝する”富士講”が生まれたが、実際に富士山に登れない農民達は富士山を模した富士塚を集落ごとに築造し、富士の山開きに合わせて7つの富士巡りを行なってきたようである。7富士とは荏田、川和、池辺、茅が崎、北山田、新羽、篠原のそれぞれの浅間塚で、ニュ-タウン地区内には川和、茅が崎、北山田、新羽の4ヵ所があった。茅が崎と新羽は整地工事のため消滅し、川和と北山田が保存されている。
川和の旧富士塚は現在の見花山と富士見が丘を結ぶ”夕やけ橋”の近くにあった。この旧川和富士塚は万延元年(1860年)に川和村民協議により造築が決定され、27年間の歳月をかけて明治20年4月に完成した。この歴史ある富士塚も、ニュ-タウンの街路計画にかかり、文化財調査団による調査終了後、昭和53年度に消滅した。しかし、地元郷土史研究会等からの保存の陳情が出され、昭和61年、川和富士公園に移して現在の形に再現された。
旧富士塚の頂上に祀られていた浅間大神の石碑と庚申塔は、現在、川和町の八幡神社境内に祀られている。(見花山自治会のHPより)

ということなので、1947年(昭和22年)の国土地理院の地図で確認してみました。

消滅した旧・川和富士は、HPに書いてあるとおりの場所に存在しています。これで見ると、平坦地に一から盛土したというよりも、元地形の尾根頂部を切り盛りして、形を整えたように見えます。古墳の築造などでもよく使われる手法かと思います。
もう一つの池辺富士として丸印を付けたところは、民有地ですが現在も7富士の一つである池辺富士が残っているそうです。ただ、少し離れたところに新・池辺富士もあるそうで、詳しい経過はよく知りません。

さらに現在の地形を国土地理院の色別標高図で見てみると、ちゃんと2つの富士塚がこんもりと図示されています。

さて、現在の川和富士公園。
約2.2haある敷地のざっくりと南半分くらいが川和富士で、残りは芝生広場と疎林・散策路。遊具と健康器具が隅の方にちょっとだけ置かれていますが、ほぼ川和富士のための公園だと言ってよいでしょう。

現地の石碑より「川和富士について」
私たち日本人は、ともすれば自然界の不思議な現造形物に対して、それを神そのものであるとしたり、或は神の心による働きとして、おそれおののく思いを抱いてきました。
日本を代表する富士山も、古くから霊峰として信仰の対象とされており、このような富士山をまつる信仰を、浅間信仰(せんげんしんこう)といいます。
富士の山神を迎える”依代”(よりしろ)として富士山の形をまねて塚をつくることは、室町時代からの習わしとしてありましたが、江戸時代の中頃になると大いに流行しました。”川和富士”もこの流行により江戸時代後期につくられ、かつては、ここより数百メートル北西の伊勢森原の頂上にありました。
ここに築造された富士塚は、その”川和富士”を、復元したものです。

富士山といえばきれいな円錐形を思い浮かべるのですが、川和富士は円錐形の横に高さ半分くらいの山がくっついた2連山になっています。宝永山とか小富士とか、そういったものを表現しているのでしょうか。
また、解説板に復元だと書いてあるので、消滅した初代・川和富士もこのような連山になっていたのでしょうか。

低い方の山の麓には、少しばかりの遊具と健康器具とが置かれています。
健康器具が中心なので、本来は遊具のはずのクライミング壁も体力づくりに使われてそうです。

まぁでも、体力づくりをしたいなら、ここを駆け上がるのが一番でしょう。
頂上へは、階段が2本と渦巻き状に続くスロープが1本。

でもスロープとは言いましたが、半分階段みたいなもので、バリアフリーには程遠いものです。せっかくなので誰でもが登れる施設になっていて欲しかったと思いですが、なにぶん40年近く前の築造なので、至らないところもあります。

山頂まで来ました。直径6メートルほどの円形の広場で、とくに噴火口などは再現されていません。

訪れた日は天気もよく、山頂からは丹沢の向こうに雪を被った本物の富士山がよく見えました。
これだけ見えるなら、富士塚など作らずに本物の富士山を拝んでおけば良いようにも思ってしまいますが、昔の人はまた違った感覚を持っていたということで理解しておきます。

南を向くと、みなとみらいの高層ビル群も望めます。

そして、園内の広場部分を見下ろすと、こんな感じ。富士のための公園だと書いた状況が伝わるでしょうか。

内部構造や工事手順など、色々知りたいことが多いので、いつか整備時の設計図書を見てみたい川和富士公園でした。

(2023年11月訪問)

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