淀川を渡る鳥飼大橋の守口市側のたもとが大庭町で、昭和中頃に住居表示がされるまでは大庭七番(大庭七番村)と呼ばれた京街道沿いの集落でした。
そんな大庭町1丁目にある墓地と地蔵堂の裏手に、大庭町1丁目児童公園があります。
裏手と言っても墓地の中を通り抜けるわけではなく、周りの家々の間を抜けて、グルっと回り込んだところにあります。
何となく、古い時代には地区の共有地として一体的に取り扱われていたように思うのですが、現代では間に壁や境界がある方が、互いに気兼ねなく使えるように思います。もっとも、守口市にはNo.898 松月公園のように、墓地と公園が柵もなく一体化しているところもあるので、一概には言えませんが。
児童公園という分類ではありますが、施設は2連ブランコが
でも、この付近は何かを撤去して地面を埋め戻した跡があるので、少し前まではほかにも滑り台などの遊具があったのかも知れません。
残ったブランコも隅の方の狭いとこにあるので、設置場所としてはかなり厳しいように感じました。
今は敷地中央の公園灯ばかりが目立つ大庭町1丁目児童公園でした。
(2022年12月訪問)
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