3181/1000 上ヶ池公園(兵庫県明石市)

2022/12/01

近代化遺産 身近な公園 鉄道遺産 登録文化財 兵庫県 明石市

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JR西明石駅の北側一帯は、1972年(昭和47年)に新幹線駅が開業する以前は農地が広がっており、多くの溜池がありました。今でも野々池、雲楽池などの大きな池が残っていますが、都市化とともにいくつもの池が埋め立てられて現在に至ります。そんな池跡の一つが、上ヶ池(うわがいけ)公園です。

面積は2.6haと市街地にしてはかなり広く、少年サッカーなら2面同時に取れる大きなグラウンドを中心に、緑化相談などを受ける「緑の相談所」や「花と緑の学習園」、遊具広場などもあり、充実した施設内容となっています。

ちなみに花と緑の学習園のイラストは、彫画という独特の手法で描く子供の絵柄で知られる伊藤太一さんのものです。明石在住で公共のお仕事もたくさんされているため、この絵柄を見ると「明石だな~」と思ってしまいます。

花と緑の学習園は、いわば庭作りの見本園のようなもので、狭い範囲に色々な種類の花、ハーブ、山野草などが植えられています。ここで見て「あ~、この花がいいね」と思ったら、緑の相談所で詳しいことを教えてもらい、家に帰って真似して育てるという仕組みです。

なかには、ステンレスの鏡で地面の花壇を反射させるという技巧的な花壇づくりもありますが、これは家では真似しづらいかも。

吊るしタコが飾られた花壇くらいなら、できそうです。

そこから、本当だったらツル植物を絡ませておきたいトンネルを抜けて園内主要部に向かいます。

ラクウショウ?の並木を抜けたところ、急に大きな橋が架かっていました。

「架かっている」という言い方は正確ではなく、川もなにも跨がないところに「置かれている」という状態ですが、これは西明石駅構内で使われていた明治時代の跨線橋を移設保存したものです。

■現地の解説板より「”小久保こ線橋”の歴史」
西明石の北と南を結ぶ道路としてJR山陽本線上に架けられていた「小久保こ線橋」は橋桁として古い歴史を持ち、百有余年の永い間、その役目を果たしてきた。
新しい陸橋の新設に伴い、この地に移設し、その歴史をここに刻み、末永く保存することとした。この鉄橋は、明治23年(1890)、当時の九州鉄道株式会社(現、鹿児島本線等)が鉄道橋として、ドイツのハーコート社に発注、技師ヘルマン・ルムシェッテル(1844―1918)の指導の下で建設された70連余りのトラス桁の一つである。
昭和の初め現西明石駅構内に鉄道省の機関区が設置されるに伴い、小久保・鳥羽から藤江・松江に通じる林道の代替道路が作られた。
その際、鉄道橋として使われていたトラス桁を転用して昭和2年(1927)に延長65mの「小久保こ線橋」が建設された。
その後、戦中、戦後の激動の時代を経て、昭和36年(1961)、鷹取・西明石間の複々線化に伴い、こ線橋は88mに延伸された。そして、平成6年(1994)新こ線橋(西明石陸橋)の完成によって永い勤めを終えることになった。
幾星霜の風雪に耐えて、その役目を終えたこの「こ線橋」は今、終生の地となるここ西明石・上ヶ池公園で人々の憩う姿を静かに見守っている。
平成7年3月 明石市

解説板には、使われていた当時は88mの長さがあったことが書かれていますが、今は30メートルくらいが保存されています。おそらく、2連になっていたものの1つだけを移設したものと思われます。

国の登録有形文化財にもなっているようで、標識が設置されていました。でも、元々のグラウンドの横しか置く場所がなかったと思われ、狭いところに詰め込み気味です。

この跨線橋を含めた遊歩道が、グラウンドを取り巻くように園内を一周しています。

グラウンドでは少年野球が練習中。先ほどの跨線橋の全景を撮影するには、このグラウンドの中ほどまで行かねばならないのですが、ちょっと入り込む雰囲気ではなかったのでパスします。

そして、遊具がある一角までやってきたのですが、ここも子供が多すぎるため近づいての撮影はパス。

大・小の複合遊具と4連ブランコ、揺れる動物遊具、盛土山などがある遊び場は、わざわざ車に乗って出かけるほどではありませんが、自転車で繰り出すくらいはしたい内容です。

ご近所に一つあると嬉しいサイズの上ヶ池公園でした。

(2022年9月訪問)

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