明石市魚住(ウオズミ)の海に面した住吉神社は、現在地に遷座したのが鎌倉時代の1292年と伝えられる古社で、この社域の周りが住吉公園となっています。
現地では公園区域と神社有地の境界はハッキリしないのですが、それは日本の伝統的な公園としてはよくあることです。参道の幅内に鳥居の足元がきれいに収まっているので、両脇の排水路の天端からが公園かなぁと考えてみます。
先にお社の方に行ってみましょう。
境内は鳥居-山門-楼門-能舞台-拝殿-本殿までが一直線に並ぶもので、このあたりの古いお社にはよくあるスタイルです。とくに立派なのは江戸時代初期に建てられた二階造りの楼門で、明石市の指定文化財になっています。
能舞台越しに拝殿。
能舞台はもちろん能を舞うためのものですが、休憩所代わりにも使えるので、あれば何かと使い勝手がよいアイテムです。
本殿の裏に回ると、その建物よりも大きいくらいの藤棚がありました。
25mプールくらいの広さがあるのですが、どうも中央にある1本の御神木から全体に蔓を広げているようです。これは花の時期にもう一度訪ねてみなければ。
さて、参道を戻り、冒頭の鳥居の裏側から海を眺めます。30メートルほど先が魚住漁港で、今でこそコンクリート護岸がありますが、きっと昔はそのまま砂浜になっていたことでしょう。
鳥居を出て左手が公園としてのメイン空間で、一部舗装された広場になっており、木陰に東屋やベンチなどが並びます。
幼児用のコンクリート製動物遊具なども置かれており、海を眺める明るい松林でゆったりと憩うことができます。
これは万葉集の歌碑。「行きめぐり 見とも飽かめや 名寸隅の 船瀬の濱に しきる白浪」と刻まれています。
万葉集に収められている笠金村(かさのかなむら)の歌で、名寸隅(なすきみ)は古代の魚住から江井ヶ島あたりの海岸の古名であるそうです。
そこから少し北へ進むと、松林の中に少しだけ遊具が置かれています。
メイン遊具はロケットタワーを軸にした複合遊具。スパイラルとパラレルの2つの滑り台のほかに、ラダー、チェーンラダーなどが組み合わされています。
そのほかは古いコンクリート製遊具ばかりですが、海沿いなので金属パーツが多いものよりも、コンクリート製の方が適しているかも知れません。
トゲトゲがたくさん突き出た通称・サンゴ遊具も健在です。
この一角を除けば、あとは松林の下を縫うように園路が入っているばかりなので、どちらかと言えば景観・散策型の公園の、ごく一部にだけ遊具を入れたという方が正解です。
そんな園内で、いちばん記憶に残ったのはこちらの解説板。
「なにか解説があるな~」と思いながら近づいていき、文字が読めるところに立ち止まって読んでみると「足元の石組みは、鎌倉時代に遷座した時のものです」と、サラッと書いてあるではないですか。
もう踏んづけちゃった後ですよ...
■現地の解説板より「旧社地跡」
神功皇后新羅ご親征の時、当海岸にご滞泊になり、神籬(ひもろぎ)を立てて住吉大神に海上平穏を祈願されました。
御軍はつつがなく御帰還されて後、雄略天皇8年4月初卯日(西暦464)に摂津国住吉郡鎮座の住吉大神をゆかりのあるこの地に勧請し祭祀す。
その後正応5年(西歴1292)8月6日現今の処に遷座したと伝えられる。
この六角形灯籠の礎石はその当時のものです。
山陽・魚住駅から徒歩5分。花巡り、夏の風景、古社参拝等々、なにかと理由をつけて訪ねる甲斐がある明石市魚住の住吉公園でした。
(2022年8月訪問)
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