2625/1000 汀良公園(沖縄県那覇市)

2020/12/25

沖縄県 社寺御嶽 身近な公園 那覇市 湧水

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初めてだとなかなか読めない首里の汀良(テラ)町にある汀良公園。
弁ヶ岳から流れ出る儀保川によって削られた谷斜面地と、その上下の小さな平場を使った小公園です。

斜面の上の方は地区公民館の建物の前庭のようになっていますが、下の方は川沿いに湧水や大木があって、知りもしない首里城下町の昔の風景を思い起こさせます。

それもそのはずで、この付近はアスイ森嶽と呼ばれる御嶽で、それが保全された状態になっています。

首里に詳しいサイト首里あるきに御嶽の由来が詳しく載っていたので引用すると「その昔、働きの良いすばらしい馬が主人を乗せて首里へきた帰りにこの場所で死んでしまった。そこへ神が現れ『稀に見る駿馬をここに埋めなさい』と告げたところ、馬が石に変わった。朝飯(アサイイ)を用意するまできちんと仕事をこなした馬から『アシームイ』と呼ばれている。死んだ馬が石になったとされる『ウマグルサー』という大きな石がある」そうです。

「朝飯を用意するまできちんと仕事をこなした」という説明がどうにもよくわからないので調べてみると、久手堅憲夫『首里の地名-その由来と縁起』に『琉球国由来記』の訳文として「往昔、伊覇村に一匹の駿馬あり。川を渡り山を越えること平地を行くが如し。伊覇より首里へは路程遠し。只此駿馬、朝飯を用意する間に、能く往還する。故に号して早飯奔馬(アシイーハヤウマ)という」と書かれていました。
比べてみると、首里あるきの解説文はわかりやすい言葉にしようとして、逆にわかりにくくなっている気がします。

され、それはさておき現地に馬のように大きな石といえば、これくらいしか見当たらないので、これがウマグルサーなのでしょうか。
そして「グルサー」は、沖縄言葉のチムグルサー(肝苦さ≒他者の苦しみに共感して心が苦しくなる状態)と同じ意味なのでしょうか。であれば「馬苦しさ」となりますが、真相は何処に。

そして、この御嶽の周りでは、旧暦の八月十五夜の頃には獅子舞が行なわれていたということが、現地の解説板に書かれていました。

■現地の解説板より「首里汀良町の獅子舞」
那覇市指定無形民俗文化財 昭和62年8月10日指定
もとは旧暦の八月十五夜にここアスイ森嶽の境内で、村の厄祓いと百姓達の親睦の目的で催された。現在はその十五夜の前後に日を選んで町民全体の行事として行われる。糸芭蕉の繊維でつくられたぬいぐるみをまとい、頭と前足、尻尾と後足の計二人で演じられる。県内の他の獅子舞がユーモラスであるのに対し、首里汀良町のものは凄みのある勇猛な獅子舞である。
那覇市教育委員会

実際に獅子舞を見学しに行ったDEE-OKINAWAの記事によれば、最近は斜面の上の地区公民館の前で舞われているようですが、確かに凄みのある勇猛な獅子舞です。

そしてもう一つ、園内に残るむかしのものは、崖下にある大きな井戸。
もとは首里王府の資金で防火目的もあって掘られたとのことで、なかなか大きくて立派な井戸です。


■現地の解説板より「新井戸(ミーガー)」
汀良良次村(現・首里汀良町)の村ガー(共同井戸)。「ティシラジヌミーガー」とも呼ばれ、箱型の形状をしている。
言い伝えによると、防火用水を得るために王府の費用で掘られたもので、10人でも一度に汲み出せるよう、大きくつくられたといわれる。
見事な石積みや「新」とつくことから、比較的新しい井戸だと考えられる。井戸は深く、戦前は水の清らかさと水量の豊富さで「トーフミジ(豆腐水)」として重宝されており、現在でも水量は豊富である。井戸手前の石積みは、戦後安全のために積まれたものである。

でもさすがに10人同時に水を汲むにはちょっと小さいのではないかと思いますが、そこはものの例えということで。

と、このように歴史・文化的な物件が多く残る汀良公園ですが、その代わりに公園的な施設は少なめで、この背伸ばしベンチくらいです。

首里のまち歩きの途中で立ち寄りたい汀良公園でした。

(2020年10月訪問)

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