2423/1000 谷戸運動公園(東京都中野区)

2020/05/13

スポーツ向けの公園 中野区 東京都

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No.2422 城山公園から南に150メートルほど離れ、おそらく明治・大正時代にはNo.2422と同じように東京府の農事試験場の敷地に含まれていたのだろうと思われる谷戸運動公園。
フェンスと高木に囲まれた多目的グラウンド1面のみの、シンプルな公園です。

上写真とは撮影位置を変えてみても、画に大差はありません。
いちおうグラウンドの端と端、真反対の位置から撮影しているのですが。

フェンスの外に「城山」の由来についての解説板があったのですが、記事中にある土塁も今は確認できず、いささか記事にしづらい谷戸運動公園でした。

■現地の解説板より「城山」
このあたりは、もと城山町とよばれ、谷戸運動公園裏に幅5.4メートルほどの土塁が残っていました。
延宝3年(1675)の村の記録には、「中野村のうちに九百坪ほど土手を築き、から掘を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。そこは、もともと名主掘江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、いまは年貢地になり、代々卯右衛門が所持している。」とみえています。
堀江氏は、天正4年(1576)戦国大名後北条氏領中野五郷を治める小代官をつとめ、次いで豊臣秀吉の指令をうけた中野の土豪でしたから、戦国末期の城山は、小城砦を兼ねた土豪屋敷であったことが考えられます。湧水のある中野川の谷戸(谷あいの地)をおさえ、野方丘陵の東南を占める城山は、平忠常の城砦あと、あるいは豊島氏と戦った太田道灌の陣地「道灌とりで」あとなどともいわれています。

昭和57年2月 中野区教育委員会

(2019年11月訪問)

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