2293/1000 岡倉天心記念公園(東京都台東区)

2019/11/23

偉人像 史跡 身近な公園 台東区 東京都

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天心岡倉覚三といえば、急激な西洋化が進む明治中期に、日本の伝統美術に光を当てて国内外に紹介し、日本美術の近代化に大きな功績を残した人物として知られています。
個人的には、和装と言うよりも天平時代のように見える妙な服装が気になっていましたが、これは彼が率いた東京美術学校(現在の東京芸大美術学部の前身)の制服だそうです。
平凡社版『日本美術史』(岡倉天心著)

さて、そんな岡倉天心が、私的なトラブルなどもあって美術学校長の職を退いた後に立てたのが、現在も続く日本美術院
その日本美術院創設の地であり、岡倉天心の自宅でもあった場所が、岡倉天心記念公園、同時に東京都の旧跡ともなっています。

場所は台東区谷中の古い住宅地の中、そこそこ細い路地のような道の先にあります。

敷地は、奥で行き止まりではないものの旗竿型をしており、昔の宅地を巧みに使って公園化を図った様子が見て取れます。

奥の少し広いところまで行くと、公園のメイン施設「岡倉天心史蹟記念堂」と名付けられた小さな六角堂があります。

木々に囲まれた六角堂の中には、岡倉天心とも交流があったという平櫛田中(ひらぐし・でんちゅう)の手による像が収められています。

■現地の解説板より「岡倉天心史跡記念」
明治美術界の偉大な先覚者岡倉天心は、明治21年(1888)当地谷中初音町に日本美術院を創設し、幾多の俊英を育成して東洋美術の真髄を広く世界に紹介した。とくに日本の明治開化期にあって、東京美術学校の創立、中国、インドの古美術踏査、日本美術史の著述など多岐にわたる芸術活動は、我が国美術界に大きな改革をもたらした。
本区の誇る偉才岡倉天心の輝かしい業績を後世に伝えるべく台東区長上條貢氏は、かねて遺蹟顕彰の方策を持っていたが、時偶々上野信用金庫理事長長野高一氏より多額の浄財の寄託を受けるに及び日本美術院発祥の当地に岡倉天心史蹟記念堂の建設を発意した。
上條区長の委嘱により地元関係者をもって建設委員会が編成され、史蹟記念堂の実現に意を注いだ。幸い天心の直門であり、その薫陶にも触れた日本木彫界の泰斗平櫛田中先生の賛意を得て秀作「岡倉天心像」の寄贈を受け、これを六角堂に収め「岡倉天心史蹟記念堂」と命名する。
芸術文化の中心地として知られる上野の一角に平櫛田中、長野高一両氏をはじめとする多くの人々の厚意によって「岡倉天心史蹟記念堂」が建設されたことは誠に大きな意義がある
とこしえに天心の偉業を伝える事績として愛護されんことを記念し、ここに賛を記す。

昭和41年(1966)11月吉日 岡倉天心史蹟記念堂建設委員会委員
(以下、関係者のお名前は省略)

やや暗いお堂の奥にあるためによくわかりませんが、見た目の質感からするとブロンズ製でしょうか。

こちらは天心の詩碑。字は横山大観の筆になるものだとか。

  谷中鶯 初音の血に染む 紅梅花
  堂々男子は死んでもよい
  奇骨侠骨 開落栄枯も 何のその
  堂々男子は死んでもよい

そのほかに、あえて美術っぽいものを探せば、トイレの外壁があまりみたことがないデザインになっています。

ここまで来たら記念公園としてのスタイルを貫いてほしいところですが、立て込んだ住宅地の小公園としての宿命で、小さな複合遊具やブランコも設置されています。

明治の偉人に思いを馳せる岡倉天心記念公園でした。

(2019年7月訪問)

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