1950年代後半~1960年代初頭に子供の交通事故が相次いだ「交通戦争」の時代を背景として整備が進められたものですが、当時の建設省の出した通知で「児童の健全な遊戯の用に供し、あわせて児童に交通知識及び交通道徳を体得させることを目的として設置する」もので、「(イ)園路(橋、トンネル、踏切等を含む。)、(ロ)広場、(ハ)交通標識、交通信号機等」などを設け、「園路での遊器具として、三輪車、自転車、豆自動車等」を備え、「訓練された指導員をおき、又は警察官の協力を求めて、各種の指導を行なう」こととされています。
できてから40~50年経ちますので、後半の2つ、貸し自転車や指導員はいないところも多くなっていますが、京都市の大宮交通公園は、今もフルパッケージで運営されている交通公園です。
なんと言っても、有料のゴーカートが光ります。
郊外の遊園地ではなく、住宅地の中にある2ヘクタールあまりの区画整理公園にゴーカートというのが素晴らしい。
緑の中を駆け抜ける真っ赤なゴーカート。
最盛期よりも落ち込んだとは言うものの、今でも年間6万回は出走しているそうです。
エンジンの付いていないカートもあります。こちらは無料ですが、周回コースに出ることはできません。
とはいえ、ゴーカートは信号も横断歩道も気にせずに走ることが楽しいのであって、交通知識や交通道徳を身につけるのは少々難しいところ。
そこで、ゴーカートとは交錯しないところに、それ用の施設もあります。
そのほかの交通系アイテムとしては、蒸気機関車C-160、京都市電の車両などが展示されていますが、保存状態は今ひとつです。
市電の車両は、以前は2台あったようなのですが、1台はなくなって展示屋根だけが残されていました。
■京都市電チンチン電車
明治28年に日本で最初の電車として走り、チンチン電車として親しまれていました。
昭和36年、北野線(京都駅前-北野)の廃止により路面から姿を消した歴史的価値の高い電車です。
市電の車両内は、図書室・休憩室として使えるようになっていますが、あまり快適な状態には保たれていませんでした。
そのほかに、交通系ではない遊具もあります。
一番人気は、大きな石の山遊具でしょうか。
巨大なジャングルジムも、ほかにはあまりない遊具。一度に30人くらいが遊べそうです。
迷い込んだら出てこられなさそう。
こちらは回転遊具。No.536、No.1528などで類似したものが登場していますが、どちらとも違っており、本ブログでもあまり見る機会がない遊具です。
その他には、埋まったテトラポットなどのコンクリート製遊具が何点かあります。
こちらのキリンは遊具ではなくアート作品のようです。
■現地の解説板より
本作品は、謝静芬(シャ ジンフェン;台湾台南市出身)が京都精華大学美術学部(陶芸専攻)卒業記念に製作されたものであります。彼女は在学中当クラブの紫野奨学生として勉学に励まれ、日本と台湾のかけ橋となり国際友好の証として寄贈されたものであります。皆様の暖かい心で末永くこのモニュメントを見守ってあげてください。
1998年2月23日 京都紫野ロータリークラブ
このように、小さな子供に人気の公園なので、コンクリートのU字溝をひっくり返したベンチは、中に入り込み防止のための棒が付けられていました。
これはこれで珍しい。
さらに珍しいものとしては、豊臣秀吉の時代に築かれた「御土居」の一部も保存されています。
写真ではわかりにくいですが、タイヤ遊具の後ろの盛土がそれにあたります。
■現地の解説板より「御土居」
御土居は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、京都の都市改造の一環として外敵の来襲に備える防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守る堤防として、天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
台形の土塁と堀(堀の一部は川を利用)からなり、その延長は22.5キロメートルに及び、東は鴨川、北は鷹ヶ峯、西は紙屋川、南は九条のあたりに沿って築かれました。
土塁の内側を洛中、外側を洛外と呼び、要所にはいわゆる七口を設け、洛外との出入口としました。
と、こんなに楽しげな大宮交通公園なのですが、老朽化のために全面改修が決まっており、この記事が公開される頃には工事が始まっています。
改修が終わって再開園するのは、2021年春の予定だとか。
思い出の中の大宮交通公園でした。
(2019年7月訪問)
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