そんな旧西国街道沿いに、小さなポケットパークがありますが、名称はわからないので、とりあえず「旭通西国街道のポケットパーク」と呼びます。
西国街道については、現地に詳しい解説板がありました。
■現地の解説板より「旧西国街道」
この東西へのびる道路は、かつて西国街道 と呼ばれていました。
西国街道は、西暦701年の大宝律令に端を発し、古代には山陽道と呼ばれ、京の都と九州の太宰府(原文ママ)を結ぶ主要幹線として整備されました。以後、畿内~九州間の陸路として栄え、江戸時代には西国街道と呼ばれるようになりました。
西国街道は現在に残る道筋を使ってその跡をたどることができます。京都から現在の国道171号沿いを進み、西宮から海岸沿いを芦屋の打出まできた街道は、ここで内陸部を進む大名行列などに利用された「本街道」と、海岸沿いを進む庶民の生活道路として利用された「浜街道」に分かれ、生田筋で合流していました。
下の地図は、1923(大正12)年頃のこの地域の状況を表しています。赤く色付けた道がそれぞれ本街道、浜街道です。当時、阪神電鉄が三宮からJR沿いを東進し、現在の大安亭付近から本街道に合流して春日野方面に走っていて、この付近では、旭通1・2丁目に生田川駅がありました。また、春日野駅から南下した神戸市電が、北本町・南本町付近で浜街道に合流し、三宮方面に走っていたことが分かります。
古来より、主要幹線として重要な役割を果たしてきた西国街道が、これからも地域のシンボルとして地域の発展に寄与していくことが期待されます。
公園そのものは、面積にして5メートル×7~8メートルくらい。ポケットパークの中でも、かなり小さい部類です。
その中で大きな存在感を放っているのが、区画整理事業の記念碑。
事業着手が昭和22年、完成が平成11年ですから、50年以上かかった大事業です。
■現地の案内板より「葺合地区の土地区画整理事業~戦災復興から震災復興へのまちづくり」
神戸の街は昭和20年の大空襲により、市街地の大部分が焦土と化しました。戦災を受けた街の復興を行うため、灘区から須磨区において土地区画整理事業により、戦災復興を進めていくことになりました。この葺合地区は、昭和22年12月から道路・公園等の整備と併せて地域の環境を向上させるための事業を進めてきました。
平成7年1月の大震災により、再び私たちの街は大変な被害を受けましたが、市民みんなの努力によりこの街は蘇ってきました。
この度、葺合地区土地区画整理事業も戦災復興から震災復興を乗り越えてまちづくりを終えることができました。
そして、もう一つ目立っているのは、区役所が企画してつくられたという創作民話「ロダンの狸」にちなむ石像。
...ということは園内の案内板に書かれているのですが、肝心の「ロダンの狸」がどんな話なのかがわかりません。長谷川伸ばりの、股旅ものなのでしょうか?
■現地の案内板より「ふきあい地域の創作民話」
葺合地域の市場・商店街では、まちの新しいランドマーク(みちしるべ)を創出し、地域に活気を取り戻そうと、民話によるまちおこしを進めています。
それぞれの地域で、地名や史跡等にちなんだ民話を掘り起こしていますが、この広場に設置している「ロダンの狸」も民話に出てくるキャラクターのひとつです。平成12年4月神戸市都市計画局 あさひ・くもい美緑花会議
隣りにある酒場に誘われてしまう、旭通西国街道のポケットパークでした。
(2019年3月訪問)
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