海に近い広々とした松林を活かした公園であるとともに、明石藩主の茶亭に因む名を持つ公園でもあります。
...と言っても、その名残らしきものは、標柱1本だけなのですが。
■現地の標柱より「望海浜の茶亭跡」
この海岸一帯は青松白砂で眺望がよく、ここの景観を愛した明石藩主松平直明公は茶亭を建て、「望海亭」と名づけ、眺めを楽しんだ。
また、1965年(昭和40年)発刊の『明石の遺跡と伝説・宗教・民俗』(明石市教育研究所)には、次のように書かれています。
寛文年中(1663年ごろ)、松平信之、防風、砂留めのため松の木を植え、天和年中(1680年ごろ)、本田政利のとき、ここで塩をやいたという。
正徳元年(1711年)、松平直明、ここに茶亭を新築し望海亭と名づけ、時々遊びに来、明石の美しい波、白砂のほとり、青い松のむらがりたつのをながめたので、ここを望海という。
この辺の人、西浦の舞子の浜と言い、西松白砂の浜辺に遠ざかる舟の帆をながめ、明石浦の真の風景はこことまで、ほめたたえている。(明石郷土史による)
青い松は今も美しいのですが、海との間には高さ3~4メートルほどの護岸ができてしまっているので、白い砂をすぐに感じることはできません。
まぁでも、護岸の上も遊歩道のようになっているので、その上まで行けば、これくらいの景色が楽しめます。殿様の見た景色にはかなわないでしょうが、庶民としては御の字ではないでしょうか。
ちなみに、この海岸では時々アカウミガメの上陸や産卵が見られます。明石市のHPによれば、最近では2014年(平成26年)に産卵が確認されています。
このHPによれば、ウミガメが上陸するのは「夜に静かで明かりの少ない浜」だそうですので、浜の後ろに広がる望海浜公園が、少なからず効果を発揮しているものと思われます。
さて、再び園内。
東西に長い長方形状の敷地をしており、おおむね東1/3くらいが土敷きのグラウンド、西2/3くらいが樹木の多い広場と遊び場になっています。
グラウンドは、少年野球なら2面同時に取れるくらいの広さがあります。近傍の市街地では貴重な広さなので、かなり利用が多いのではないでしょうか。
グラウンド部分から西へ進むと、2メートル弱ほどの高さの盛土があり、その上に一本足の休憩所が建っています。
ここで、No.2096 船上西公園にあった、16世紀末ごろに存在した船上城の時代の当地の地図を思い出してみると、「土塁跡」が描かれています。
なにか関係があるのかなぁ、とも思いますが、描かれているものとは位置や向きが異なっているので、思いすごしかもしれません。
No.2096 船上西公園にあった船上城跡の地図 下の方の海近くに「土塁跡」が描かれている |
で、この盛土の西側には、草敷きの広場が広がっています。
サッカー遊びには、東端のグラウンドよりも、こちらの方が適しているでしょう。
そしてさらに西へ進むと、私好みの軟体動物系のコンクリート滑り台を中心とした遊び場があります。
こちらがその滑り台。
滑り部がある側だけを見ると、すっきりとした石の山遊具に見えますが、
裏に回ると曲線+トゲトゲ+イボイボで、ナマコなどの軟体動物を思い起こすデザインとなっています。
一方、こちらの垂直面はツルツル。少しくらいは装飾を付けてあげても良かったように思います。
この角度で見ると、風の谷のナウシカに出てくるオーム(王蟲)にも少し似ています。
見方によって、いろいろな姿が楽しめるのが、軟体動物系遊具の楽しみです。
そのほかには、4連ブランコや揺れる乗物遊具などの定番ものもあります。
ただ、海が近く塩分が飛んでくると思うので、保守点検は大変だろうと思われます。
そして、これらの遊具や盛土を縫うように、ゆっくりと歩ける散策路が続いています。
海の景色、スポーツに適した広場、気持ちのよい遊び場が揃っており、少し遠くからでも出かけていく甲斐がある望海浜公園でした。
(2019年2月訪問)
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