2025/1000 納戸町公園(東京都新宿区)

2019/02/05

新宿区 身近な公園 東京都

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江戸時代、この公園のあたりは幕府に仕える武家が多く住んでおり、その中でも将軍の衣服や調度品を管理する「納戸方」が集まっていたので納戸町(なんどまち)。明治以降も落ち着きのある山手の住宅地として発展してきました。

そんな納戸町の一角にある納戸町公園は、広場主体の小公園です。

出入口を入るとすぐのところに砂場と揺れる乗り物遊具、トイレがあり、それ以外は、ほぼ広場のみ。
私が訪れた時には、乗り物遊具では保育園児の皆さんが遊んでいたので写真はありません。

一番奥から出入口方向を見た所。
間口が開いているのは一方向のみなので、保育園児が安全に遊ぶにはちょうど良いかも知れません。

そしてこの公園のある場所は、明治時代に駐日代理行使だったオーストリア・ハンガリー帝国の伯爵と結婚したクーデンホーフ光子が、結婚後、渡欧までの間に住んでいた家があったということです。
100年以上も前に、日本の商人の娘さんがウィーンに移り住んで、貴族の仲間入りをするというのが、どれほどの事態なのか想像もつきません。
■現地の解説板より「史跡クーデンホーフ光子居住の地」
所在地 新宿区納戸町26

この地には、初めて西洋の貴族と結婚した日本女性であるクーデンホーフ光子(青山みつ 1874~1941)が、明治29年(1896)に渡欧するまで住んでいた。
光子は、明治7年(1874)骨董商と油商を営んでいた青山喜八と妻つねの三女として生まれた。東京に赴任していたオーストリア・ハンガリー帝国代理公使のハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギーと知り合い、明治25年(1892)に国際結婚し、渡欧後は亡くなるまでオーストリアで過ごした。
渡欧までの間、光子と共にこの地で暮らした次男のリヒャルト(栄次郎 1894~1972)は、後に作家・政治家となり、現在のEUの元となる汎ヨーロッパ主義を提唱したことから「EUの父」と呼ばれている。

平成25年3月 新宿区

その後にどういう経緯があって公園になったのかはわかりませんが、そう言われてみると、なんとなく品が良いようにも感じる納戸町公園でした。

新宿区による公園紹介ページ

(2018年12月訪問)

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