1958/1000 権現山公園(東京都品川区)

2018/11/18

身近な公園 東京都 飛行機ジャングルジム 品川区

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江戸時代、品川にあった御殿山は、海を望む景勝地、桜の名所として知られていました。しかし幕末には、品川台場の造成のための土取りで地形が改変され、さらに明治に入ってからは鉄道敷設のために鞍部が切り通され、南方向に伸びていた尾根が切り離されてしまいます。
ちなみに歌川広重が描いた1855年(安政2年)発刊の『五十三次名所図会』の品川の図では、すでに御殿山が切り崩されて崖ができ、沖には品川台場が築かれています。

こうした地形改変により、もともとの御殿山から切り離されて残った小ピークにあるのが、現在の権現山公園です。
下の写真は、鉄道敷の対面に渡って権現山公園を見たところ。なんとなく残り具合が伝わるでしょうか。

上の広重のように、江戸時代の絵図や錦絵には「御殿山」はたくさん出てくるのですが、「権現山」は見かけません。独立峰のような形になったのが幕末なので、権現山と呼ばれるようになったのもそれ以降なのでしょうか。

そして御殿山と言えば、もう一つ思い出すのが「イギリス公使館焼き討ち事件」です。
後に明治維新の立役者となる高杉晋作、伊藤博文、井上馨たちがまだ若きテロリストだった文久2年(1862年)、御殿山に建設中だったイギリス公使館を炎上させたという事件ですが、御殿山と言っても広いので、イギリス公使館はどの辺にあったのだろうと思って調べてみると、品川区立品川歴史館の資料では、だいたい今の権現山公園から北方に向けて広がっていたように描かれています(下の引用図は、右が北になっています)。

品川歴史館解説シートNo.23
「御殿山外国公使館の建設と焼き討ち事件」より

さて、そうした能書きはこれくらいにして、現在の権現山公園。
品川神社などが建つ坂下の方から登ってくると、ふいに公園が現れます。

階段を上がると、左側はさらに一段高くなった園地、右側は細長い形の遊具広場になっています。
桜の樹がたくさん植えられた園地側が、権現山のピークだと言えます。

園地側から見たJRの線路。新幹線、山手線、東海道線、横須賀線がひっきりなしに行き交っており、なかなか壮観な眺めです。

隣の学校に繋がる門もありました。
とくに学校と公園との一体化を意図してのものではなく、通学の近道として朝夕だけ開くような雰囲気です。

一方の遊具広場側。滑り台、飛行機型のジャングルジム、ブランコなどがあります。

なかでも目立っているのは、飛行機型のジャングルジム。
とりあえずジャングルジムと呼んでいますが、主翼の部分は雲梯ですし、中に乗り込んでゴッコ遊びもできるので、複合遊具とも言えると思います。

搭乗口は鎖梯子。いきなり少しハードルが高めです。

どう写しても少しわかりにくいのですが、座席は前後に2つあり、最大4人が搭乗可能です。

最後部からは、2本パイプ式の滑り台も突き出ています。脱出用シュート?

もう一つ、回転コーヒーカップ遊具も個性的です。

オレンジ色の滑り部が明るい印象を与えてくれる滑り台。

4連のブランコには、モダンな柄のラバーマットが敷かれています。

鉄棒と砂場は、まぁ普通ですね。

立地や名前は歴史を感じさせますが、中身は幼児~低学年向けに充実した権現山公園でした。

(2018年8月訪問)

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