大崎~五反田あたりの大崎村(後に大崎町)が東京市(当時)に編入されたのが1932年(昭和7年)。その頃には大崎本町という町名があったようなのですが、昭和40年代の町名変更で無くなり、現在は西五反田などになっています。
本日の本三(ほんさん)くじら広場は、「大崎本町三丁目」の名残を受け継いだ名前の小広場です。
敷地は5×20メートルくらいの細長い形状をしており、そこに災害時の救援活動等での利用を想定した施設が詰め込まれています。
ちなみに、上写真の園内図と下写真の防災施設ガイドの2つが横に並んで建てられているのですが、看板の上に南京錠、下に蝶番が付いていることからわかるように、鍵を開ければ前にパタリと広げられるようになっています。
すなわち、災害時には、応急救護用ベッドとして使えるそうです。
小さな園内で目立っているクジラは「炊き出しクジラ」と名付けられた、災害時にはかまどになる施設ですが、すでに扉が壊れていました。
特段に遊具としての機能は持っていないので、平常時はモニュメントにしかならないのがもったいないように思います。
もっとも、胴体の後ろの方や尾のあたりは、子供たちが滑り台代わりにして使っているようでした。
外周部にズラリと並ぶのは、災害時用のマンホールトイレ。
ややもすれば無機質になるマンホールトイレですが、ここでは子供たちが描いたと思われる海の生き物のイラストが描かれていました。
このような形で、普段から存在を主張していることが災害時の適切な利用に繋がるので、これは良いアイディアだと思いました。もうちょっと、トイレっぽいイラストでも良かったかも知れませんが。
自治会の防災倉庫も楽しげなイラスト付きで、それでいて防災倉庫であることをお知らせしています。
私としては「災害時にはオープンスペース自体が有効で、固定施設はなくともなんとかなる」という意識が強いのですが、この公園の周りは公共オープンスペースが非常に少ないので、施設を集約整備したという意図も理解できます。
そうしたやや特殊な公共空地を、できるだけ普段から楽しく、それでいて災害時の有効活用にも繋げようとする気持ちが伝わってきた本三くじら広場でした。
(2018年4月訪問)
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