平がなが正式名称の「わかみや公園」は、23区内にしては多くの農地や農家建物が残っている練馬区高松地区あたりにある小公園です。
三方を道路に囲まれた三角地を敷地としており、周囲のどこからでも公園内がよく見渡せます。
私が訪れた時は遊具の入替え工事中で、敷地の半分ほどが立入禁止でした。
ストリートビューで確認すると、以前は面白げな盛土山と大きな滑り台があったようなのですが、工事用フェンスの外から覗き込むと、盛土山は人工芝を貼りなおしてリニューアル、滑り台は小ぶりなものに変わるようです。
盛土山周辺以外の半分ほどは使用可能で、子供向けにはブランコやシーソー、大人向けには健康器具がいくつか設置されていました。
ブランコは、ツリー型もしくはサボテン型と呼んでいる一本足のもの。見た目は個性的なのですが、構造的にどうしても支柱の根本が傷みやすいので、最近は入替えが進んでいます。
シーソーはヤジロベエ式のもの。これも最近は見かけなくなりつつある遊具です。
健康器具は、練馬区の公園でしばしば見かける「太極拳-雲手」というかっこいい名前のもの。黄色い円盤に手を載せてゆっくりと回し、肩周りの鍛錬をします。
それとは別に、地味めのステップ器具もありました。地味な動きを繰り返し、功夫を練るのです。
ところで、道路沿いのよく目立つ所に、練馬大根の漬物に使われていた樽が展示されていました。解説板などが見当たらなかったのでよくわかりませんが、この中に大根を入れたら3,000本くらいは入るのではないでしょうか。すごいな、練馬大根。
上写真にも小さく写り込ませていますが、道向いにある食品会社の玄関口にも、同じような樽が飾られていました。というか、この会社から譲ってもらった樽を公園に置いているのでしょうか。
そして、道沿いにはもう一つ「長久保道」の道標と解説板。よそ者にはまったくわからない地名の連発で、非常にローカル色の強いものです。
■現地の解説板より「長久保道」
長久保道は、清戸道の旧宮田橋付近で北に分かれ、富士街道を横切って、光が丘の南西の隅を北西へ直進(現在は道がない)、高松5-9の北側を通って笹目通りを横断、土支田地蔵尊を左に見て、土支田通りを横切り、白子川の別荘橋を経て、そのまま北西へ進み、膝折(朝霞市)で川越街道と合流します。
長久保は旧新倉村の字名ですが、明治24年大泉村と合併し東京府に編入されました。現在の大泉学園長7~9丁目付近です。いつ頃から長久保道と呼ぶようになったのか明らかではありませんが、『武蔵国新座郡村誌』(明治8年)橋戸村の項に「北の方下新倉村界より来り下土支田村に出る。尤もさせる路にあらざれば…」とあるのはこの道のことです。
清戸道沿いの村々の名が刻まれている宮田橋敷石供養塔(区登録文化財)が高松2-3のバス通り沿いに建っています。この石塔は、元はこの道の起点となる宮田橋に建てられていたものです。
平成12年3月 練馬区教育委員会
きっと今ごろ、リニューアルが終わって子供たちで賑わっているであろう、わかみや公園でした。
(2018年2月訪問)
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