大豆山(まめやま)は、近鉄奈良駅から少し北に行ったあたりに古くからある地名ですが、これの東に隣接するのが大豆山突抜町(まめやまつきぬけちょう)。
おそらく、いつの時代かに、市街地から大豆山方面に向けて街路を延長し「突き抜け」させて開かれた町なのでしょう。
周囲の住宅の樹木と比べても大きすぎるので、近寄ってみると、長さ30センチくらいある三つに分かれた葉(三葉)がたくさん落ちていました。
北米原産で大きく育つマツの品種・ダイオウマツ(ダイオウショウ:大王松)だと思われます。
松ぼっくりも巨大なので落ちていないかと探しましたが、そもそもあまり実っていませんでした。
小さな公園に大きなマツの存在感が強すぎて、滑り台はオマケのように見えてきます。
砂場は大量の松葉で埋もれているので、砂遊びをするにも一苦労。
ブランコまでは、松葉の侵略が及んでいないので一安心します。
また、文字がかすれて読みづらくなっていますが、「大豆山小学校在リ」と題する石碑もありました。
廃校になった学校を記念する石碑というのは各地の公園で見かけますが、それが設置から100年を越えるものとなると、なかなかお目にかかれません。さすがは1300年の歴史を持つ奈良と言うべきでしょうか。
■碑文より(●は読み取れなかった部分)
大豆山小学校在リ
予等奈良市第五区民師弟幾千人教養薫陶ヲ受ケタルノ場タリ
其後他ニ轉移●●廃校トナル
吾人桑梓ノ念ニ堪ヘズ遂ニ其遺趾ノ湮滅セシコトヲ憂ヒ
乃●地ヲトシ我奈良満月会事務所を建て学校前庭の紅梅樹を栽ヱ永ク忘レザルコトヲ示ス明治45年夏 奈良満月会
碑文を素直に読むと、大豆山小学校が廃校になった跡に、卒業生の故郷とも言える場所が失われることを憂いた人たちが「奈良満月会」という団体の事務所を建てたのが1912年(明治45年)のこと。その後に事務所も無くなって現在の公園になったのかと思います。
もっとも、公園あるあるでは「ほかに行き場のなくなった石碑は公園に集められがち」なので、本当のところはよくわかりません。
ただ、公園の一番奥には、小さいながらも庭園風になった区画があるので、碑文にあった「学校前庭の紅梅樹を栽ヱ」の流れを汲んでいるのかも知れません。
ごく小さいながらも、公園名、アイテムとも記憶に残る大豆山突抜町街区公園でした。
(2018年3月訪問)
ありがとうございます。
返信削除この公園は何かが違うと通る度に気になっていました。
こんにちは、ブログ作者です。
削除この公園については、「奈良満月会」が何をする団体だったのか、どうしてこんな小さな公園にダイオウショウを植えたのか、という謎が残っているのですが、匿名様の引っかかりが少しでも解決するお役に立てたなら幸いです。