1385/1000 千里南公園(大阪府吹田市)

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日本初の大規模ニュータウンである千里ニュータウンは、1962年(昭和37年)にまちびらきが行われました。津雲台は翌1963年から入居が始まった古い地区であり、また鉄道駅前の商業サービス施設があってニュータウンの中心的な地区でもあります。
その駅前のショッピングセンターから道一本渡ったところに千里南公園があります。

園内に入ると牛ヶ首池という溜池があり、この池の周りの緩傾斜地と、一部は尾根を使った公園敷地になっています。

ニュータウンですので全体に造成がされていて元地形がわかりにくいのですが、この池の周囲に関しては明らかに谷地で、いくつかの小さい谷から集まった水が、池を経由して南の方へ流れていくような地形になっています。
ですので、水の流れを守りつつ、土地が低くて湿り気が溜まりやすい部分は宅地ではなく公園にすることで、環境保全と土地の有効利用を両立するという教科書的な土地利用がなされているように感じます。

池の南半分は自然風・園地風の整備がされており観賞用の池になっていますが、北半分は護岸部分のスペースが広めに取られた有料の釣り池として利用されています。

池の上流側に、斜面沿いで少し水が溜まりやすい場所があって、大阪の伝統野菜である「吹田慈姑(くわい)」の畑として使われていました。
●現地の解説板より「吹田慈姑」
思いでる鱧の骨切りすり流し すいたくわいに 天王寺蕪


之は有名な蜀山人が大坂で食べた上方料理のうまさを回想した狂歌です。すいたくわいは摂陽群談、五畿内誌、摂津名所図会等にも紹介され大坂名物番付には関脇になっていますし、京都の御所にも毎年献上され貴人に賞味されました。
学名は牧野富太郎博士の命名で、スイテンシスは吹田に産するという意味です。普通のくわいは奈良時代に唐から輸入されたものですが、すいたくわいは日本古来の植物です。


君がため 山田の沢にゑぐ採むと 雪消の水に裳の裾ぬれぬ(巻10-1839)


と万葉集に歌われた「ゑぐ」は、おもだか科の植物と考えられ、すいたくわいはおもだかの球根が大きくなった変種ですから、万葉の時代にも歌われていたのでしょう。
すいたくわいは、お正月には上の図のような鴨型の藁苞で贈物にされていました。

解説板に書かれている「鴨型の藁苞」を拡大すると、こんな感じ。
かつての大坂の年の瀬には、これを贈り物として提げた人々が行き交っていたのでしょうか。

池の北東側には円形広場と野外ステージがありますが、訪れた時はほぼ草っぱらという感じで、街にいながら夏フェス気分が味わえる状況でした。
野外ステージ前は、ステージに向かって傾斜のある地形になっており、ここだけで500人くらいは収容できます。

ステージ前の広場から園路一本隔てたところにある円形広場は、地形はフラットですが面積はステージ前よりも広いくらいなので、こちらには屋台とミニステージくらいを建てると良いでしょう。

円形広場の横手の方に、小さな遊具広場があります。
公園自体はニュータウンの中でも大きい部類に含まれるのですが、ニュータウン全体の公園が大・小、立地に応じて計画的に機能分担をしているため、この公園には大きな遊具は備えられていません。

複合遊具も幼児向け。そのほかには鉄棒、ブランコなどがあります。

少し離れた園路沿いには、別に成人向けの健康器具の広場があります。

各地の公園でよく見かける健康器具と比べると、可動部が多く、ちょっとしたスポーツジムのような器具が多く導入されています。

一方、尾根地形の部分は池を囲むように東・北・西と3ヵ所に分かれています。
このうち西はやや小高い園地といった感じの整備内容ですが、東と北は元々の森を残したような植生で、積極的に人を入れるような構造にはなっていませんが、実際はちょっとしたアウトドア遊び場として使われているようです。

これが東側。やや傾斜がきつく、アカマツとコナラなどの混交林になっています。この地下を阪急千里線がトンネルで抜けています。

北側はアカマツが少なく、広葉樹主体の森になっています。一本だけ園路が通っていて散策ができるようになっていますが、そこからはみ出してドングリ拾いや落ち葉遊びをするのに適しています。

そして西側はクスノキなどが植えられていて、休憩所や野外アートなども置かれていることから、公園整備の際にかなり手が入っているようです。

その他、園内には碑や野外アートの類もたくさんあって、ひとつひとつ調べてマップなどを作れば面白そうな千里南公園でした。

吹田市による公園紹介ページ

(2016年5月訪問)

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