日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2017年1月17日

1377/1000 大国公園(神戸市長田区)

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JR鷹取駅の南側、商店街の中にロータリー状になった道路があり(ただし菱形状に角ばっています)、その道路に四周を囲まれた中心部分が大国公園になっています。

ちなみに商店街の街灯には、鷹取だけあって鷹がとまっています。下から見ると鳩くらいの大きさにしか見えませんが。

資料によれば、この付近には大正時代まで二子池という溜池があり、それを埋め立てた跡地を證誠神社の御旅所として使用していましたが、神社本体の社殿が火事で消失、その再建のために御旅所を市に売却し、市が公園としたものだということです。
ちなみに證誠神社はNo.475 妙法寺川公園でもチラッと登場しており、間に鉄道や幹線道路が入るため遠いように感じますが、800メートルほどしか離れていません。
●碑文より
当大国公園の附近一帯は旧野田村々有の二子池であった。移りゆく時代の変遷に伴ひ、大正末期この池を埋立て、その一部分を残し、昔より年々祭儀を執行してきた由緒深い證誠神社の御旅所として使用するに至った。(註 昭和9年兵庫県指令に基き證誠神社境内飛地として登記完了した)
同時期に地元有志が協議の上、出雲大社の大神を勧請し、地元守護神として安置奉斎し社を大国神社と称し毎月10日を月毎祭として斎業行し現在に至った。
昭和42年1月9日13時30分頃、證誠神社が不慮の火災により御社殿が全焼した。これがため役員はじめ各総代再三協議をして早急再建復興することに決定したが、これに要する多額の費用は篤志家のみの寄贈で賄ふことは至難であるため、その主たる財源(基本資金)を得るため、證誠神社飛地境内地である御旅所を余儀なく売却するに至った。
そのため地元民はもとより広く神戸市民の憩いのひろばである公園として、神戸市当局に役員総代協力一致して、其の実情を陳情し交渉を重ねた結果、昭和45年2月市会に於て公園としての買上げが決議された。同45年7月下旬御旅所大国神社の御神殿は證誠神社の境内地として遷座奉祀された。翌昭和45年9月初旬変更登記が完了し、翌昭和46年1月初旬、市が公園化のため工事に着工、同年3月茲に竣工した。
この間役員総代及び地元自治会等多くの関係者の努力が実を結び新しい公園の誕生を見ると共に、大国神社の名を偲び大国公園と命名されたのである。證誠神社役員並に各総代一同が市当局に、感謝の意を表しこの地を永く記念するため二子池跡の祈念碑とともに、時計台、藤棚等を神戸市に寄贈した。
以上の事実を記録して大国公園の由来とする。

神社総代一同
昭和46年3月吉日建立
平成6年12月現在の大国公園に改修される
附記 この記念碑文は、阪神淡路大震災5年を記して複製す
平成12年1月17日

この公園を含む神戸市街地の西部、現在の新湊川の西から鷹取駅付近にかけての一帯は、明治時代までは農村地域だったのですが、大正時代に入って市街地誘導を次のステップとして睨んだ耕地整理事業が行われていますので、その際に池が埋め立てられたのではないかと思われます。
日文研の所蔵地図データベースに掲載されている1924年(大正13年)の『神戸市地圖 : 付西灘村』を見ると、まだ池跡が記載されていました。下図で点線になっている道路が交差するところが、現在の大国公園です。

さて、そんな歴史を持つ大国公園ですが、全国的に大きな注目を浴びたのは、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の時のことです。公園よりも東側の市街地で大火災が発生し、徐々に西へを広がってくる中で大国公園と周囲のコミュニティ道路は焼け止まり(延焼防止線)、消火活動や避難の場としての役割を果たしました。
園内には、そのことを記録した碑が設置されています。
●碑文より
1995年1月17日未明に起こった阪神・淡路大震災で、鷹取地区周辺は大きな被害を受けました。大国公園および周辺道路(コミュニティ道路)は、地区住民のまちづくり活動を通じて再整備され親しまれていました。当公園は、震災時に際しては延焼を防ぐとともに被災後の救援活動の重要な拠点として活用されました。この経験は、私たちに公園や樹木が持つ防災的な役割を再認識させました。鷹取のまちは、地震による火災によって多大の被害を受けましたが、住民と、事業者、行政との協働や多くの人々の努力により徐々によみがえっていくことでしょう。これからも大国公園は平時はいこいの場として、緊急時は避難場所として存在し続けます。
火災で被害を受けた照明灯と車止めは、震災の体験と復興への希望を永遠に記憶する証として、大国公園に保存されたものです。

1997年3月28日 神戸市建設局

説明がなければ、ただの壊れた照明灯と錆びた車止めですが、震災のモニュメントとして大切に守られています。

また公園東側の外周部に並ぶクスノキには、火災の熱で焦げた跡と思しきものが散見されます。

全国の古い公園では、防犯対策で見通しを確保するために公園外周部の樹木を伐ることが少なくありませんが、大規模火災の際には水分の多い樹木が延焼を抑制することがありますので、バランスのとれた判断が必要です。

そのほか、園内には阪神・淡路大震災で倒壊した石鳥居を使ったお地蔵様、国土地理院の復興基準点など震災関連のモニュメントがあります。

基準点は測量に使う実務的なものなので、モニュメントと呼ぶのも違う気がしますが、立派な解説板付きなのでモニュメント仲間に入れておきましょう。
●復興基準点
復興基準点は、阪神・淡路大震災の被災地における土地区画整理事業、市街地再開発事業をはじめとする各種の復興事業に役立てるための基準点で、この地点の位置(経度、緯度、高さ)を正確に示しています。
復興基準点は、平成7年度に地方自治体の協力により、被災地域に500mから1km間隔で800点設置しました。モニュメントは、この復興基準点設置を記念するものです。
この復興基準点No.FK200の経度、緯度、高さは、経度:統計135度08分15秒、緯度:北緯34度39分07秒、高さ8.8mです。
復興事業に重要な基準点です大切にしましょう。

平成8年3月 国土庁土地局 建設省国土地理院
測量法改正に伴い、経度、緯度の数値を変更しました。
平成14年4月 国土交通省国土地理院

時節柄、震災関係の話が長くなりましたが、現在の園内はこんな感じ。
お祭りや防災訓練を始めとして、地区の繋がりを深める様々な行事に使いやすいように広場を大きく取り、その端の方に少しだけ複合遊具や揺れる動物などの遊具が置かれています。

緑濃いクスノキの下に、カラフルな遊具が映える大国公園でした。

●阪神・淡路大震災を語り継ぐモニュメントについてはこちらも

(2013年5月訪問)

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