日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2016年8月22日

1252/1000 具志宮城北公園(沖縄県那覇市)

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す那覇市の南部、具志宮城の区画整理地の中にある東西南北4つの小公園のうち、今回は2つめの具志宮城北公園です。

ここも1つめのNo.1251 具志宮城西公園と同じように、緩やかな傾斜地を利用して、大きく上下二段に切り分けられた敷地形状をしています。

そしてこれも同じように、区画整理事業を記念する大きな記念碑がありました。
No.1251にも大きな記念碑があったので「区画整理地の中心にあたるのでは?」と書きましたが、No.1251は旧字の具志、こちらは宮城に属します。

宮城地区でも大切な位置にあったようで、往時を偲ばせる「前ヌ井戸」が保存されていました。「前ヌ井戸(メーヌカー)」は一般名詞で、集落の入口付近にある井戸を指します。
見た限りでは、現在は井戸(湧水)としての機能は失い、拝所になっているようです。赤ちゃん用の玩具が放ったらかしになっているところはご愛嬌。

■現地の碑文より
この井戸は前ヌ井戸(カー)と呼ばれ、西暦1650年頃御先祖が字民のために掘削してくださった非常に大切な飲料水の源泉でありました。
また正月の若水としても尊ばれ、古くに産湯の水としても使われました。東後方には、井戸を抱きかかえるように樹齢約350年、大人三人でようやく抱えられる大きな琉球松が生い茂っておりました。
その後方には、東の製糖工場があり、前方には溜め池(馬浴クムイ)があって松の木陰は農作業を終えた、老若男女の憩いの場として親しまれていました。
盆前になると松の木の根元(トブシ)は子供達により競って削り取られ、お盆の門前の迎え火として重宝されました。松の木は昭和20年の大戦で消失、井戸は戦後も水道が普及するまで飲料水として大切にされました。
1992年11月吉日、具志宮城区画整理事業の施行に伴い改修され、貴重な文化的遺産であり字民の心のよりどころとなった聖域であります。

那覇市字宮城自治会

碑文に出てくる松林は先の大戦で失われましたが、公園の植栽として広場周りにわずかに再現されています。

松の木が少なくなった分、こちらの東屋の日陰が老若男女の憩いの場として親しまれているようです。

それ以外にはトイレがあるくらいで、広場型、地区住民が集まれる場所としての機能を重視した形になっている具志宮城北公園でした。

(2015年11月訪問)

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