1163/1000 吉谷公園(東京都大島町)

4:00
No.1045で登場した竹芝ふ頭から船に乗り、伊豆大島へ渡ると、大島町役場などがある島の中心地・元町港に到着します。天気が悪い時は、島の北部にある岡田港に着くこともありますが。
その元町地区にあるのが吉谷(よしや)公園。伊豆大島で唯一の都市公園です。
資料によれば開園は1968年(昭和43年)。元町地区はその3年前に市街地の7割を消失する大火に見舞われ、その後に復興区画整理を行なっているので、その際に整備されたのではないかと思います。

大山祇命と三原大明神を祭神とする吉谷神社の境内と一続きになっていますが、先の大火では神社も消失し、1970年(昭和45年)に再建されたそうです。
左手にトイレ、右手に小さな芝生広場があって公園といえばそうですが、園路の雰囲気はほぼ「参道」です。

その参道(園路)を通り抜けた北側に、細い道を一本挟んで吉谷神社があります。

そして、公園の園路からも神社との間の細道からも、どこからも少し見づらい位置に、大島に関わる先人たちの石碑が建てられています。ここも大島の中央公園だと言えましょう。

石碑の碑文はよく読めないので、現地にあった案内板からご紹介します。どちらも明治初め~中頃に、島の発展に功績があった人だそうです。
ただ、石碑は3基あるのに、案内は2つ分なのがよくわかりません。
●藤井清左衛門彰徳の碑
藤井清左衛門は、天保3年(1832)元名主、立木忠兵衛の次男に生まれ、長じて岡田村川島氏より妻をむかえ、下条藤井家を相続した人である。
明治3年(1870)新島村名主となり、村政、産業、教育の振興に努めた。
明治8年(1875)には初代の大島郵便局長となり、郵便、電信事業にも功績のあった人である。
碑文に「追恩故藤井清左衛門之功績為建 樹徳巳大貽謀斯 従二位勲二等蜂須賀茂韶転記注釈:原文では「百+召」) 明治24年3月」とある
●那知一二彰徳の碑
那知一二氏は新島村23番地、那知松次郎の長男として慶応3年(1867)に生まれ、幼名を源次郎と呼んだ。
15歳の時、大島としては初めて東京に遊学し鈴木楳軒を師として勉学に努めた。その後、徴兵令施行のため帰島し、現役鎮台第77号として検査に合格した。明治20年(1887)大島では、また、はじめての入営であったそうである。兵役を終え、帰島後は漁業組合の設立に尽力し、組合長に就任して漁業の振興発展に尽くした。また非常組(現在の消防団の前身)取締就任など、若いのにかかわらず、非常に人望が高く、選ばれて明治37年(1904)6月、名主に就任した。同年10月病のため惜しまれながら亡くなられた。
この碑は、大島6個村の漁業組合が建てたもので、碑文に「勇午義果干徳 従二位勲一等子爵野村 靖書 明治乙未10月」とある。
平成6年3月 大島町
上の3基の碑から少し離れたところに、レリーフ付きのでもう少し最近の偉人、林甚之丞氏の碑もあります。
林甚之丞は北海道出身の実業家で、鉄鋼・鉄鉱山関係で活躍した人ですが、伊豆諸島航路を持っていた東京湾汽船(現在の東海汽船の前身)の社長として、伊豆大島の観光開発にも功績があったそうです。
●現地の碑文より「林さんの記念碑」
観光大島は林さんの開いた基礎の上に発展している。
昭和3年遊覧船日航を開き、バス道路、動物公園、ホテル、産業研究所等々の建設を推進したのは、東京湾汽船株式会社社長林 甚之丞氏であった。

あまり目立ちませんが、大島の歴史を知る上ではぜひ訪れて欲しい吉谷公園でした。

(2015年6月訪問)

Share this

Related Posts

Previous
Next Post »