日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2015年9月21日

1056/1000 新町南公園(大阪市西区)

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新町南公園は、大阪市西区の地下鉄西大橋駅から地上へ出て北スグのところにある小公園です。
新町は、近世大阪の商業中心地であった「島之内」の西側に開かれた町で、かつては大阪でもっとも古い「新町遊廓」でした。

ちょうどこの公園のあたりは新町遊廓の西端にあたり、いわば繁華街への導入部として、食べ物屋や遊び場の立地しやすい場所だったのではないかと推察されます。
ということで、公園内には歴史的に著名な蕎麦屋や劇場の記念碑が建てられています。

まずは江戸時代の書物にも書かれた蕎麦の店「砂場」の記念碑。
はじめに見た時は「公園なんだし、そりゃ『砂場』くらいあったでしょ!」と思ったのですが、とんだ勘違いでした。

●現地の記念碑より「ここに砂場ありき」本邦麺類店発祥の地 大阪築城史蹟・新町砂場
 天正11年(1583)9月、豊太閤秀吉公大阪築城を開始、浪速の町に、数多膨大を極めし資材蓄積場設けられる。 ここ新町には砂の類、置かれ、通称を「砂場」と呼びて、人夫、工事関係者日夜雲集す。
 人集まる所、食を要す。早くも翌天正12年、古文書「二千年袖鑒(そでかがみ)」に麺類店「いずみや・津の国屋」など開業とある。即ちこの地、大阪築城史蹟にして、また、本邦 麺類店発祥の地なり。
                坂田孝造 識
昭和60年(1985) 3月11日  大阪のそば店誕生400年を祝う会建立

手元にあった2003年(平成15年)発行の大阪城天守閣の図録『特別展 浮世絵師 初代長谷川貞信が描いた幕末・明治の大阪-「水の都」の原風景-』に掲載されている『萬寿大阪細見図』(1863年(文久3年))を見ても、遊郭らしい囲まれた街の西端(下図で左側)に「スナバ」と書かれています。
ほかに書かれているのは町名や橋の名ばかりですので、砂場はランドマークの役割も果たすほどに有名だったのだと思われます。

続いては角藤定憲(すどう さだのり)の記念碑。
公園内でも少し目立たない場所にありますが、碑の裏面に書かれた発起人は初期の松竹を支えた歌舞伎・演劇・興行の大物の名が並びます。

●現地の記念碑より 「角藤定憲 改良演劇創始之地」
 この附近新町座に於いて明治21年12月3日角藤定憲改良演劇と称して壮士芝居を公演せり
 明治40年1月20日神戸大黒座楽屋にて急逝す
 劇団新派来演を機にこの地に碑を建て角藤定憲の功績を永遠に賛える
昭和33年1月20日
劇団新派、大谷竹次郎白井信太郎松尾国三、白井昌夫(以下、発起人多数。省略)

さて、現在の新町南公園ですが、あまり施設の多くない広場型の公園となっています。

それでいて広場の中心には円形の植栽帯があり、野球やサッカーなどには使えないように仕立てられています。まぁ市街地で幹線道路にも面しているため、致し方ないところです。
訪れた時は盆踊りが開かれる直前で、円形の植栽帯の中にしつらえたように櫓が組まれていました。

広場の隅の方には、幼児向けの遊具も数点置かれており、砂場(蕎麦屋にあらず)もあるのですが、全体からすると影は薄いところです。

それでも近くの保育園か幼稚園の子供たちが出かけてきて、木の実を拾ったりして遊んでいました。

ところで、冒頭で登場した蕎麦店「砂場」ですが、『上方風俗 大阪の名所図会を読む』(2000,宗正五十緒,東京堂出版)には摂津名所図会から「砂場、和泉屋」の図が紹介されており、
[砂場に有名な蕎麦屋があり、『摂津名所図会』に「難波の名物とて、遠近、ここに来集する事、日々、数百に及べり」とあります]と書かれています。
http://www.eonet.ne.jp/~sobakiri/1-1.html

また早稲田大学の古典籍総合データベースで1844年(天保15年)の『日本唐土 二千年袖鑒』の画像が公開されているのですが(出版年の違うものが何バージョンかあるようです)、これが「神社仏閣、貴人高僧、名将勇士が生まれて(できて)から、今年で何年?」という数字が20ページほどに渡ってズラズラ並べられているという書物で、今で言う「うんちく本」のようなものでした。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri04/ri04_02932/ri04_02932.html

いつの時代にも似たような本があるもんだと思う一方で、碑文にあった「古文書」のイメージからは程遠いようにも思いました。

(2015年8月訪問)

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