1006/1000 高橋是清翁記念公園(東京都港区)

2015/05/27

偉人像 港区 東京都 歴史公園

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高橋是清(たかはし これきよ)は明治から大正、昭和と活躍した政治家で、首相や大蔵大臣を歴任した後、斉藤実内閣で幾度目かの蔵相を務めていた時に2.26事件で青年将校らに銃撃され暗殺された人物です。
事件の際には私邸を襲撃されて亡くなりましたが、まさしくその私邸跡が公園として残されています。

公園となった沿革などについては、わかりやすい解説板が建てられていました。

現地の解説板より「高橋是清翁記念公園の沿革」

この公園は、日本の金融界における重鎮で大正から昭和初めにかけて首相、蔵相などをつとめた政治家「高橋是清」翁(1854年~1936年)の邸宅があったところです。
翁は、昭和11年(1936年)2.26事件によりこの地において83歳で世を去りました。翁の没後、昭和13年(1938年)10月高橋是清翁記念事業会がこの地を当時の東京市に寄付し、昭和16年(1941年)6月東京市が公園として開園しました。その後、昭和50年(1975年)港区に移管されたものです。第二次世界大戦の空襲により翁にゆかりのある建物は焼失してしまいましたが、 母屋は故人の眠る多摩霊園へ移築されていたため難を免れ、 現在は都立小金井公園にある江戸東京たてもの園へ移されています。戦時中撤去されていた翁の銅像も昭和30年(1955年)に再建されました。
現在の面積は5,320平米で、国道246号線の拡幅等により開園当初よりやや減っていますが、和風庭園はほぼ当時のままの姿で残されています。 園内は池を中心として石像や石灯篭が配置され、樹木はかえで、もっこく、うらじろがし、くすのきなどたくさんの種類があり落ち着いた雰囲気をかもしだしています。
平成7年 港区

上の解説にあるように、園内の大半は当時の庭園を残して整備されており、中心部には池があって、その周囲の林の中を巡り歩けるようになっています。

邸宅のお庭だった頃と比べるとかなり樹が大きくなっているとは思いますが、モジャモジャするほどではなく、散策には程よい程度に保たれています。

池については、はじめ訪れた時は水がなかったので「ここも節水・節電か」と思ったのですが、朝9時を過ぎたら流れ始めました。タイマー式になっているのですね。

そしてまた、解説板にあった「石像」「石灯籠」などが色々と庭に置かれているのですが、これらも高橋邸だった時代からのものを使っているようです。

石製品については朝鮮半島から持ち込まれたものが多いと思われ、韓国を併合していた時代の庭園趣味の一端を感じさせます。

ローマ帝国がエジプトを支配した時期にオベリスクを収奪してローマに持ち込んだため、当時のオベリスクはエジプトよりもイタリアに多く残っていると聞きますが、一種の懐古趣味、エスニック趣味で色々持ってきてしまうのは、洋の東西を問わずあったようです。

ここでも石像だけではなく墓碑も持ち込まれており、平成に入ってからそれが返還されたということが書かれた案内板がありました。もっとも、現地で失われたのは400年も前のことだそうですが。

現地の解説板より「淑容沈(すく よんしむ)氏墓碑石跡」

この場所に、経緯は不詳ですが、韓国李王朝九代 成宗(そんじょん)大王の後宮「淑容沈氏」(1515年没)の墓碑が建立されていました。
約400年の長期にわたり墓碑の行方を捜してこられた韓国李王朝一族関係者からなる「淑容沈氏墓碑還元推進委員会」の求めに応じ、港区から平成12年6月16日(金)に日韓友好の証として、両国の絆がますます深まり、両国の親善交流が一層促進されることを祈念し、譲与しました。
港区

その庭園跡の一番奥に築山があり、そこに高橋是清の銅像があります。

こちらが「ダルマさん」の異名で呼ばれたという高橋是清翁の銅像。
酒好きで、国会の開催中にも茶碗酒を飲んでいたとか。それっぽい表情をしていますね。

とまぁ、こうした和風庭園主体の公園なので、喫煙所も和風というか木目調。障子の影に忍者が隠れている図みたいです。

そこまでするのなら、このカラフルな遊具スペースもなんとかしたいところですが、いちおう道路沿いの一角に集めて、庭園部分とは干渉しないようになっています。

あともう一つ、園内には「最初の赤坂区役所跡」の解説板も建てられています。実際は東の隣接地(現在は「いけばな草月流」の本部(草月会館)建物があるところ?)だそうです。

現地の解説板より「最初の赤坂区役所跡」
明治初年の地方制度は、いくたびか改正のくり返しが続きましたが、明治11年(1878)7月22日、 近代地方自治の歴史上画期的な郡区町村編成法などの公布によって、同年11月2日、東京は15区6郡に区画され、区会も設けられました。
その時、現在の赤坂・青山の地域が赤坂区として誕生し、最初の赤坂区役所が赤坂表町3-5(現在赤坂7-2;本公園東隣接地の一角)に置かれ、同年11月4日に開庁しました。初代区長は翌年1月、島津忠亮が任命されました。
赤坂区役所はその後、表町1丁目などに移り、さらに明治24年(1891)に 現在の港区役所赤坂支所の位置に移りました。
なお、芝・麻布・赤坂区は、昭和22年3月15日、統合されて港区となりました。
昭和49年1月設置(平成21年2月建替) 港区教育委員会

(2015年5月訪問)

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