963/1000 大正橋公園(大阪市大正区)

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No.962 三軒家公園で江戸幕府が設けた川番所のことに触れましたが、その木津川口遠見番所跡の碑があるのが、木津川と尻無川(岩崎運河)の分岐点付近にある大正橋公園です。

ちなみに公園名になっている大正橋は、大阪市街地と大正区を結んで木津川を東西に渡る橋で大正4年に架けられました。昭和になって現・大正区域が旧・港区から分離する時に橋の名を取って「大正区」にしたそうですので、どれだけ橋が好きだったのかというものです。

さて公園は、大正橋に繋がる道路からは2~3メートルくらい落ち込んだところにあります。もっとも、川を跨ぐために橋が高く持ち上がっているため、公園内の地盤の方がゼロメートル地帯・大正区の正しい地盤高です。

園内には、皇紀2600年記念の旗台もありました。しかし道路からは落ち込んでいるので、そうとう長い旗竿でないと見えません。

JRの大正駅にも近い賑やかな場所なのですが、公園の仕立ては完全に児童公園です。

児童向けと幼児向けの2基の滑り台が同じデザインで並んでいると、遠近法を間違ったみたいに見えます。
大阪市内では、このように滑り台を2基設置する公園は多いのですが、こうハッキリと並べておくことは少ないように思います。

あとはブランコ、鉄棒など。

繁華な場所にある割にはきれいに管理されているという印象ですが、敷地がいびつな形をしており、使いにくい角地の方は放ったらかされている感もあって、もう一踏ん張り頑張りたい大正橋公園でした。

■現地の解説板より「木津川口遠見番所跡」
 木津川は大坂の経済を支える大動脈として諸国の船の出入りで賑わいました。当地は、昔、「姫島」と呼ばれておりましたが、義民として名高い中村(木津)勘助が、慶長15 年(1610 年)に豊臣家のために軍船係船所の建設や船着場の整備等を行い、その功により「勘助島」と名付けられました。
 江戸時代になって、幕府は宝永5 年(1708 年)に「木津川口遠見番所」を現在地に設けました。また、西方には幕府の官船等を収容する「御船蔵(おふなぐら)」(岩崎橋公園附近)がありました。
 大阪の島と言われた当地と都心をつなぐルートとして、大正4 年(1915年)、市電開通とともに架けられた大正橋は、当時わが国最長のアーチ橋で、当区名の由来ともなっております。新橋が昭和49 年に完成、下流側の高欄には、ベートーベンの交響曲第9 番「歓喜の歌」の楽譜がデザインされています。
 なお橋の東側にある「安政津波遭難者供養碑」は、安政元年(1854 年)に木津川一帯を襲った安政の大津波の惨状を述べるとともに、最後に「後人の心得・・・願わくば心あらん人、年々文字読み安きよう墨を入れ給うべし」と記しており、大阪人の心情を表しています。

(2015年2月訪問)

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