934/1000 崇元寺公園(沖縄県那覇市)

2015/02/20

沖縄県 那覇市 歴史公園

t f B! P L

崇元寺(そうげんじ)は、かつて泊港から首里城へと続く道の途中にあった臨済宗の寺院です。
琉球国王が代替わりをすると、中国皇帝から跡継ぎの即位を認める「冊封使(さくほうし)」という使節が派遣されてくるのですが、その冊封使の一行が先王を弔う諭祭という行事をおこなった場所だということで、王国にとって重要な寺だったそうです。

残念ながら沖縄戦で破壊されて木造建物は残っていませんが、被災した石門だけが戦後に復元され「旧崇元寺第一門及び石牆(せきしょう)」として1972年(昭和47年)に重要文化財に指定されています(「牆」とは塀のこと)。

石門の重文指定後も建物跡は他の用途に使われ続け、そこも含めて公園になったのは1992年(平成4年)のことです。

さて、現在の崇元寺公園。
門を潜って園内に入ると、大きなガジュマルの樹が出迎えてくれます。

かつてはお堂が建っていた段上へ登ると、そこは芝生広場になっています。
史跡保存のためでしょうか、とにかく一面の広場で、特段の施設はありません。

お寺の建物遺構については、いちおう柱跡の位置や大きさなどを平面・半立体的な手法で表示しているようです。

ただ、とくに解説などはないため、これが何を示しているのか理解できる人は少ないでしょう。私もよくわかりませんので、とんでもない見当違いのことを書いているかも知れません。

もっとも、凝った展示や表現手法を持ち込んだところですぐに劣化・陳腐化しますので、それよりも大きめの芝生広場として、多くの市民が普段から遊びに来られる親しみやすい場所にしておくことの方が、最終的には史跡の保存に繋がって行くだろうと思います。

●国指定文化財等データベース「旧崇元寺第一門及び石牆

(2015年1月訪問)

【2019年7月追記】
崇元寺の隣にあるホテルに泊まったので、上から見下ろしてみました。
ちょうど除草作業中で、公園内にトラックが入っています。

【2025年4月追記】

また久しぶりに園内に入ってみたら、新しく展示施設が作られていました。
地下に保存されている建物基壇の遺構を地上部に部分復元したものと、戦争で失われた伽藍配置の模型です。

■現地の解説板より「崇元寺の遺構」
崇元寺は山号を霊徳山といい、正廟(本堂)で歴代国王の位牌を祀ったことから、琉球王国の国廟と称された。創建年は不明だが宣德年間(1426から35年)とも、成化年間(1470~76年)ともいわれ、門前に建つ「崇元寺下馬碑」の銘(嘉靖6年:1527年)から遅くとも1527年までには創建されたと推定される。中国から「冊封使」が来琉した際は、新国王の任命儀式「冊封」の前に、先王の位牌を祀る「諭祭」の儀式が行われる重要な場所であった。
1933年に国宝に指定されたが、沖縄戦で焼失し、現在は正面のアーチ門と石垣だけが残る。三連のアーチ門は独創的なデザインにより沖縄の代表的な石造建築の一つとされ、1972年国の有形文化財(建造物)に指定された。
1982年と2020年に行われた崇元寺の遺構確認発掘調査では建物の基壇が確認され、建物配置かわかる状態で残っていることが判明した。現在設置している遺構模型の1.5m真下には、模型と原寸大の基壇が保存されている。また、沖縄戦以前の写真や資料をもとに元寺の外観を想定した模型(1/150)も設置した。
これらの模型を参考に、かつてこの地に建ち、沖縄戦で焼失した崇元寺をイメージしていただければ、幸いである。

模型で見ると、本記事で「柱跡の位置や大きさなどを表現している」と書いたあたりには建物があったようなので、少し安心します。

手間と時間はかかりますが、少しずつ史跡を活かした公園へと変わりつつあるようです。

ブログ内検索 Search

アーカイブ Archive

地図 Map

問い合わせ Contact

名前

メール *

メッセージ *

Facebook Page

QooQ