日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2015年1月20日

903/1000 忠度公園(兵庫県明石市)

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忠度公園は、明石市の人丸前駅から南西へ5分ほど歩いたところにある小公園です。
公園の名は平安末期の武将・平忠度(ただのり)に因むと言えますが、正確には忠度に因んで付けられた旧・忠度町に整備された公園だからだと思われます。

忠度は平清盛の弟で、武将としては平家の大軍を率いて源氏と争った一方で、歌人としても優れた人物で、平家の都落ちの際には自らの歌を師である藤原俊成に託したというエピソードもあります。
また彼の官職が「薩摩守」であったことから、乗り物の料金を支払わずに乗ることを「ただのり(ただ乗り)」とかけて薩摩守と言ったりもします。

さて、その忠度ですが、源平の一の谷の合戦で敗れて討ち死にをします。その最期の場所と伝えられるのがこの付近で、あたりには忠度を祀る神社や塚などが幾つかあります(神戸市長田区にも伝承地や塚がありますが)。

こちらが忠度塚。公園から100メートルほど離れた道沿いにあって、忠度公園とは直接の関係はありません。
塚の前に石柵、さらにその前に門があって、肝心の塚があまり上手に写っていないのはご容赦を。

そういう古いものが残る町ですが、全体的にはおそらく戦後に区画整理のされた住宅地です。JR明石駅、国道2号線にも近いため、公園の周囲にも新しいマンションが目立つようになっています。

園内の風景はこんな感じ。高木剪定が非常にスッキリと伐ってしまうタイプだからでしょうか、全体的に緑が少なめで粗な感じがします。

遊具は滑り台、ブランコ、砂場、ブランコ、プレイウォール、鉄棒などオーソドックスなものが数点。どちらかと言えば、広場遊びを重視する内容です。

このあたりは万葉歌人・柿本人麻呂を祀る柿本神社にも近いので、園内の一角には「冬の歳時記」と彫られた石柱と人麻呂の歌碑があります。ただ、歌は金属プレートの方に刻まれているので、石柱が何なのかは今ひとつわかりませんでした。

またもう一人、明治時代の歌人・前田純孝(翠渓)の歌碑もありました。
私はこの人物のことを知りませんでしたが、兵庫県浜坂町出身の翠渓は、結核療養のために妻の実家があったこの付近に暮らしていた時期があったそうです。

■現地の解説板より
風吹けば 松の枝鳴る 枝なれば 明石を思ふ妹と子を思ふ

前田純孝(翠渓)(1880~1911)は、兵庫県美方郡浜坂町諸寄に生まれる。御影師範学校から東京高等師範学校、国語・漢文部に学んだ人である。
明治20・30年代、歌の世界は革新の時代であった。与謝野鉄幹・晶子は「新詩社」を起こし「明星」を発刊して文芸に新しい風を吹き込んでいた。若き翠渓も啄木と共に明治ローマン主義運動のなかで活躍した群像の一人であった。
高師卒業後は26歳で大阪府立島之内高等女学校(現・夕陽丘高等学校)の初代教頭として赴任するが、結核に冒され、大阪住吉、妻の実家、明石忠度町(現・天文町)に転地療養するが病いえず、一人ふるさとへ帰っていく。
職を失い業病にとりつかれた純孝は、失意のどん底にあって童謡・唱歌を作り稿料を得て薬餌に当て細々と生きていく。
(中略)
別離をよぎなくされた純孝(翠渓)最期の思いを、歌碑にして残すことになった。
この町に住む市民の幸せを祈り、歌碑建立のいきさつを記しておくことにする。
平成16年2月吉日
兵庫県浜坂町 前田純孝の会

今の公園は、直接的に平忠度に因んでいるわけではないのですが、こうして歌碑が並ぶのは、歌人としても優れていた忠度の功徳なのかも知れません。

(2014年11月訪問)

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