日本の都市公園は約10万ヵ所。その1/100なら行けるだろうと思って始めた覚え書きですが、1000ヵ所を超えても続いています。揺れる動物も集めています。

2014年10月12日

810/1000 東山大師道公園(兵庫県西宮市)

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兵庫県西宮市の甲山山麓に神呪寺(かんのうじ)という真言宗の寺院があります。この寺が甲山大師とも呼ばれているため、ここへ向かう道が大師道ということになります。
この道沿いには、2005年まで播半(はりはん)という大きな料亭がありました。大阪湾を望む南向きの斜面地に、渓流や森を取り込んだ広大な敷地の中にいくつもの建物が点在するという豪壮な料亭で、昭和天皇のほか幾多の文人が訪れたということです。

その料亭が閉鎖となった後、反対運動などもあったものの、森はほぼ伐り倒されて大きなマンションが建てられました。そのマンション開発に伴う提供公園(大規模な開発をおこなう事業者が、敷地の一部を公園として整備して市に寄付する制度に基づく)が東山大師道公園です。

ところが、そこは真面目にやる気が微塵も感じられないというか、訪問の数ヵ月前にできたにも関わらず、先行きが不安になる困った公園でした。

まずその立地と構造。マンション北側の開発残地のような崖地で、マンションとは直接繋がっておらず、また住民の主導線とも関係のない位置にあります。
そんな崖地に高い擁壁を組んで3段に分け、下段に料亭の建物を移築保存し、中段に遊具広場を設けています(最上段は公園ではない模様)。

朱塗りの蔵、茅葺き門などは料亭のシンボル的な建物だったようですが、建物の解説や移築の経緯を示すようなものは何もないままに、周りにあった森を引っぺがされ、道沿いにポツネンと置かれてしまっては訳が分かりません。

それでも蔵は内部を物置に利用することもできますが、門は擁壁ギリギリに据え付けられて潜ることすらできません。すなわち門としての存在価値を完全に失った「門の形をしたモニュメント」になっています。
おそらく数年経って、地域の人が料亭のことを忘れるようになると、劣化・破損したこれを直そうという気持ちもなくなり、朽ちるがままにされることが懸念されます。なまじ建物自体はきちんと移設されているだけに(茅葺きは止めたようですが)、今からもったいない気持ちが湧いてきます。あくまで想像ですが。

で、階段をずっと上っていった遊具広場がまたひどい。
通りからはまったく見えないので子供だけで安心して遊ばせることはできませんし、かといって眺望はマンションの建物で完全に遮られ、崖上にあるデメリットばかりが目立ちます。

二百数十戸のマンションと公園とは直接繋がっておらず、一度マンション敷地外に出てから道路をグルリと歩いたうえに階段を上らなければならないので、遊び場を必要としているはずのお母さん方は容易に近づくこともできません。
そもそも、幼児向けの遊具しかないのにベビーカーを押して来ることのできない公園を、今時いったい誰が使うのでしょう。

初めからほとんど誰も使わないことを想定しているのでしょうか、草が生えないように広場の半分ほどは石張り、遊具の下は人工芝マットを敷いて土をできるだけ少なくしています。
しかし人工芝の隙間からはすでに雑草が生え始めており、この先が思いやられます。

ベンチは、冬にならないとパーゴラの影が届かないような離れた位置にあるばかりか、その上部には擁壁の排水溝の口が開いており、雨の後はベンチの周りに水が垂れてくる構造になっています。

また広場の一角に、この付近で多く見られる大坂城の石垣に使うために切り出した石の残りが唐突に展示されていますが、解説板にはどこで採れたものかも書かれておらず、公園との関係が意味不明です。

これでいて、当該マンションの広告には「この地の記憶をとどめる『はり半』の赤い蔵、茅葺き門の移築保存、やじり石などをモニュメントにしたした遊びと憩いの提供公園をご用意しています。」ともったいつけて書いているのには、もう笑うしかありません。

No.579 荒神山西公園のように、昭和中頃にはけっこうな斜面地をむりやり公園にしたものですが、それでもNo.579は住民の歩く道沿いにありました。
平成も20年をこえて、この困ったセンスに出会えたのはむしろ貴重ですので、折を見て追跡してみたいと思う東山大師道公園でした。

願わくば、私の勝手な予想が外れることを祈ります。

●昔の料亭の様子などは はり半(播半)を偲ぶ

(2014年9月訪問)


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