701/1000 雪御所公園(神戸市兵庫区)

2014/06/17

阪神・淡路大震災比較 自然災害伝承碑 神戸市兵庫区 身近な公園 兵庫県

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神戸市兵庫区で、六甲山系から流れ出る石井川と天王谷川とが合流して新湊川となるあたりの町名が雪御所町(ゆきのごしょちょう)。平安時代末に平清盛の別邸・雪見御所があったとされるところです。
この合流部の三角地に、雪御所公園があります。

三角地の突先付近に高くそびえるのは、平清盛の顕彰碑...ではなく、1938年に発生した阪神大水害の慰霊塔。公園を挟み込む石井川と天王寺川沿いでは、とくに被害が大きく、雪御所公園も壊滅的な被害を受けたそうです。

■現地の解説板より「昭和13年阪神大水害 慰霊塔」
昭和13年(1938)7月5日に発生した阪神大水害(梅雨前線、水害・山津波害)は、背後の山々の崩壊、河川の氾濫による大量の土砂をもたらし、神戸市内を埋めつくし、一面の泥海と化しました。この水害による本市における被害は、死者616名、傷者1,011名、家屋の流失1,410戸、埋没854戸、全半壊8,653戸、浸水家屋7万9,652戸(神戸水害誌による)という激甚なものとなりました。
この大水害における救助・救援・復旧作業は、被災直後から行政はもとより70万人をも越えるであろう市内外の善意の方々の手で行われ、その結果本市の復興は加速度的に進みました。
この慰霊塔は、行政と市民が一体となり復興に取り組むなか、この大水害で亡くなられた方々を慰霊し、市内外からの救護活動に対して感謝の意を表すとともに、 今後長期にわたり治水・治山に力を入れ、このような災害を再び起こしてはならないという誓いを後世に伝えていくために、史跡地でもあり、特に被害が甚大であった石井川と天王谷川の合流するこの場所に、水害から3年後の昭和16年(1941)6月建立されたものです。
この説明板は、平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で被災された方々の仮設住宅があった当雪御所公園の復旧整備に際し、先のこの大水害の記録を後世への教訓として継承していくために設置しました。
平成12年4月 神戸市
(この後に、本来の慰霊塔の碑文が掲載されていますが省略)

慰霊塔の周りは石造の壁、もしくはベンチのように仕立てられていますが、その文様が洪水や山津波を表しているようで手が込んでいます。

慰霊塔のあるステージの周りはフェンスのある多目的広場になっており、ボール遊びなどができます。

フェンスの裏側に回ると、パーゴラのある遊具広場になっています。
わりと最近にリニューアル整備がされたようで、まだ新しい複合遊具、ブランコのほか、ペンキを塗り直したラダー遊具やコンクリート製の動物遊具などがありました。

ブランコは2連。

少し新し目の遊具の中では目立つ、ラダー遊具。上り下りするだけでなく、肋木のように運動にも使えます。

面白いのは複合遊具に書かれた ”symbol tree” の文字。
「後ろのクスノキを差し置いて、よくも名乗れたな!」とツッコミを入れたくなります。

遊具の中でも古株の動物遊具は、ピンクのリスと青いジャガー(多分)。

1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災時の1週間後に撮影した写真にも、よく見るとパーゴラの横にリスの背中が小さく写っていました。
当時と比べるとリスの右手前にある砂場が無くなり、動物の位置も若干動かされています。

1995年1月撮影 (株)総合計画機構所蔵

(2014年5月訪問)

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