渋江公園は、京成・立石駅から南西へ約500メートルの立地に1.6ヘクタール以上の面積を持ち、この地区の中心的な公園です。1952年(昭和27年)の開園以前はセルロイド製のオモチャ工場があった敷地だということで、園内にその記念碑があります。
北側の出入口からバラのアーチ(春先)に迎えられて公園内に入ると左右はバラ園、さらに左右に別れて計6面の全天候型のテニスコートがあります。市街地で6面まとまっているのは多い方です。
そのまま真っ直ぐに進むと、正面に「葛飾区セルロイド工業発祥記念碑」が見えてきます。
今日では、碑文にある「セルロイド=平和、希望、児童」という構図が分かりにくいのですが、まぁ昭和20年代らしいキーワードではあると思います。
■葛飾区セルロイド工業 発祥記念碑
大正3年4月 わがセルロイド工業界の先覚 故千種稔氏が この地に初めて玩具工場を設けてより30有余年 斯業は幾多の優秀な後継者たちの努力によって日に月に発展し 今や関係業者数万を越え その生産額はわが国輸出総額の過半数を占める繁栄を示し 実に葛飾工業地区の中心となるに至った昭和26年秋 渋江公園が千種氏創業の由緒深いこの地域に開設せられるに当たり この事業の発展を希う地元有志相は かってセルロイド工業発祥の地にふさわしい 平和と希望とを象った記念児童群像を 長沼孝三氏に委嘱し 公園に美しい風景を添えると共に 遥かに先人の偉業をしのぶよすがとした(昭和27年11月23日/東京都葛飾区セルロイド工業発祥地記念碑 建設会有志)
記念碑は1952年の開園当時に建てられたもので、それから40年も経たない1990年には葛飾区の登録有形民俗文化財になっています。やけに早いのですが、碑そのものの価値というよりは、葛飾区におけるセルロイド工業の価値が認められてのことだと思います。
■区登録有形民俗文化財 葛飾区セルロイド工業発祥記念碑
(所在地:葛飾区東立石3丁目3番1号/登録年月日:平成2年(1990)3月19日)わが国におけるセルロイド工業は、明治41年(1908)に 日本セルロイド人造絹糸と堺セルロイドが設立されると共に本格的生産が始まりました。葛飾区のセルロイド工業は、これらを追って大正3年(1914)に創業されました。 その中心となったのは、故千種稔氏がこの地に設立した「千種セルロイド工場」です。 のちに、この地域はセルロイド工業の街として繁栄しますが、それはここから 始まったと言ってよいでしょう。このモニュメントは 渋江公園の開発に伴い、昭和27年(1952)に建てられました。 この地域が葛飾区の近代工業の発展をになったことの証しとして貴重な記念碑です。(東京都葛飾区教育委員会)
その記念碑から西の方を見ると、銅像「石毛慶次郎氏像」があります。碑文や解説板など素性を教えてくれる情報が少ない像なのですが、雰囲気からして教育者や革命家ではなく、実業家・政治家の方ではないかと思います。
そこから西の方を見ると遊具広場。
古くからの山遊具を中心に、新しい複合遊具、迷路?などがあります。
ちなみに写真奥に見える黄色いものは、楽しげな遊具の一部に見えますが、公園の隣にあるビルです。
立体迷路は、迷路だと思って本気で遊ぶには小さなものですが、幼児が楽しむ分には十分なサイズです。
山遊具は一度に子供50人くらいが遊べそうな大きなもので、長年に渡ってこの公園のシンボル遊具だったことでしょう。
以前、本ブログで訪れたNo.157 東中山下公園で見かけたものと同型ではないかと思います。
ちょっと変わっているのは、水遊び場に噴水ではなくシャワーだけが設置されていること。シャワーだけでも構わないと言えばそうなのですが、少し物足りない気もします。下の格子蓋のあたりからミストが湧き出たりするのでしょうか。
そして公園の南半分は、パーゴラのある花の丘と、防災施設も整備された芝生広場になっています。
芝生広場も大きくて、遊びごたえがありそうです。
その芝生広場の一角に設置されているのが、「キャプテン翼」の登場人物・岬太郎くんの銅像です。主人公の翼くんのチームメイトであり、爽やかで優しい性格の人気者が颯爽と芝生の上を駆け抜けています。
No.654 四つ木つばさ公園では、まず木造住宅密集地域での住環境改善構想→そのための公園整備計画→後からキャプテン翼像導入という流れだったために、わかりにくい場所にある小さな公園に主人公が置かれてしまいましたが、その評判を受けて1年後に設置されたのがこちらの銅像。
ですので、サブキャラの方が良い場所に置かれてしまったわけですが、連載・テレビ放送当時は主人公以上に人気が高かった岬くんらしいと言えばらしいです。
(2014年3月訪問)
【2025年3月追記】
久しぶりに葛飾区のHPを見ていたら、『葛飾区史』というページができており、そこに「葛飾ゆかりの人」として、銅像を紹介した石毛慶次郎さんが掲載されていました。
それによれば、1884年(明治17年)生まれの氏は、
晒工場の経営者であるとともに、戦後は葛飾区内の各種団体の長を務めた。埼玉の工場で働いた後、東京で独立した。明治42(1909)年、妻と二人で現葛飾区四つ木に石毛染晒工業(後の石毛染晒工業有限会社)を設立した。昭和27(1952)年、染晒業界での功績により緑綬褒章、および社会事業に貢献した功績により紺綬褒章を、昭和29(1954)年には消防分野の功労者として藍綬褒章を受章。他にも褒章を多数受章した。昭和25(1950)年に葛飾区社会福祉協会の初代会長に就任するなど区内各種団体の長を務め、多くの褒章を受章した。
昭和26(1951)年、顕彰会によって胸像が作られ多くの参列者を集めて除幕式が開催された。この胸像は、現在、渋江公園(葛飾区東立石)にある。
人物であると書かれています。
しかし、多くの褒章を受章した名士であるにも関わらず「没年不詳」だそうで、それもなにか不思議な話だと思った次第です。
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