江戸時代に入って城が破却された後も、鹿野には鳥取藩の支藩が置かれるなど因幡地方でも重要な都市でした。そこで鳥取と鹿野とを結ぶ街道が整備され、鳥取城から鹿野街道へと通じる惣門は鹿野口と称されました。
この鹿野口惣門があったあたりは、昭和の町名変更以前は鹿野町(しかのまち)という町名だったようで、鹿野町公園があるのは、おそらくその一角です。
敷地は800平米ほど、やや変形の三角地のような形状をしており、大きなサクラに囲まれた広場型公園となっています。
外周に添って滑り台、ブランコ、揺れる動物と動かない動物遊具などが並べられています。
ちょっと面白いのはこちら。名前は知りませんが、立ち乗りしてグルグル回る遊具です。
最近の遊具には無い、見たまんま感が素敵です。
そしてこちら。龍、あるいは怪獣の動物遊具。商品名を知りたいところです。
公園の外周部、鹿野街道に面したところには、鳥取県出身で明治に唱歌の作曲で活躍した岡野貞一の曲碑があります。
●もみじ曲碑 もみじを作曲した岡野貞一は十才から十五才まで、ここ西町に住んでいました。 この街道より眺める久松山の松をいろどるもみじは忘れられない心象風景として残り、作曲のイメージとなったことでしょう。あれ、現在は公園から道一本挟んだ向かいが西町なのですが、碑には「ここ西町に」と書いてありますね。それじゃぁ、ここは旧・鹿野町(しかのまち)ではないのかな...?
資料の少ない町で町名変更があると、さっぱりお手上げです。
(2013年10月訪問)
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