409/1000 志波城古代公園(岩手県盛岡市)

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7~11世紀ごろ(飛鳥時代~平安時代)、ヤマト政権は東北地方へジワジワと勢力を伸ばしていきます。この際に、政庁、饗応の場、防御施設などとなる拠点施設「城柵」が築かれました。城柵は方形の区画の中心部に官衙建物を置き、役人や兵士の住居がそれを囲み、大外周りは土塀などの防御施設で囲ったもので、城柵周辺は開拓地となって農民が住まわされていたそうです。
東北の城柵(新潟も含む)は20ヵ所くらいがあったとされており、有名なのは坂上田村麻呂が対蝦夷戦の拠点とした多賀城(宮城県多賀城市)ですが、田村麻呂はその後も北へと侵攻し、現在の盛岡市に新たな拠点を築きます。これが志波城(しわじょう,しわのき)で、803年~812年頃の約10年間使われたそうです。
この志波城跡が国史跡となり、盛岡市によって「志波城古代公園」として調査と復元整備が進められています。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

立体的な建物復元がなされ、公園のシンボルとなっているのは外郭南門でしょうか。城柵本体の正面口にあたります。
発掘調査で確認された柱跡の規模・配置を踏まえ、同時代の絵巻物などを参考として想定復元されたものです。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

南門の周りには、版築塀、防御用の外溝、築地塀越しにあたりを見張る櫓なども復元されています。
普段は門や櫓に登ることはできません。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)
志波城古代公園(岩手県盛岡市)
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

南門を入ると、政庁建物に向かって一直線に南大路が通じています。
南大路の両側に並ぶケヤキ並木については、「これも復元なのかな?」と疑問に思ったのでボランティアガイドの方にお聞きしたところ「並木跡は見つかっているが樹種は不明なので、当時の気候なども考慮してケヤキとした」とのことでした。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

南大路の外側は史跡の公有地化が済んでおらず、以前からの田圃のままです。
ただ、地元農家の方の協力で、水田アート(様々な色の稲で田圃に絵を描くやつですね)や体験農業が楽しめるそうです。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

政庁跡は、門とそのそばの版築塀とが立体的に復元されていますが、建物跡は建物の大きさや柱の位置・大きさなどを平面的に表現する手法が採られています。
建物が増える分だけ整備費も管理費も増えますので、これは常套手段です。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

北門は、個人的に「阿部定方式」と呼んでいる、建物柱の根元だけを復元する方法が採られています。これによって柱の位置・数・太さなどが表現されます。
日本の遺跡ではよく採用される手法ですが、実際どれほど見る人に伝わるのかは不明です。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

しかし、上の写真はまだ門だというのが分かるように思いますが、こちらの建物跡はかなり分かりにくいですね。仮設のプレハブ住宅の基礎工事みたいです。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

ちなみにマスコットは「しわまろくん」。アサヒ十六茶のCMに岩手県を代表して出演したそうです。

人気者でよろしいのですが、「坂上田村麻呂が現地勢力の長・アヌシコの娘に生ませた子供」という設定は、変に実在の人物を織り交ぜていて分かりにくいと感じました。
歴史を学ぶ公園のマスコットなので、実在人物のキャラクター化なのか、マスコットとして創作したものなのか、はっきりした方が良いと思います。
志波城古代公園(岩手県盛岡市)

盛岡市HP 『国史跡志波城跡・志波城古代公園』

(2013年4月訪問)

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