熊本市西区の中でも西の方、有明海にもほど近い小島(おしま)地区は、白川と坪井川とに挟まれた島のような土地です。
もともとは、江戸時代後期から海と川との舟運を接続させる川港として発展し、明治天皇の行幸の際にも使われたそうですが、今は小学校の近くに小さな舟溜りが残るくらいです。
とくに地区の南側を流れる白川では、1960年代から港が面していた蛇行部を直線化させる改修工事が行なわれ、それ以前は河道だったところが埋め立てられて小島公園になりました。
ですので、園内は現・白川の堤防と、元・白川の堤防だったこんもりした樹林地に挟まれた形をしています。
園内からは、元・堤防や船着場、水制工がチラチラと見えますし、かつての川のイメージを活かした流れや橋なども整備されているのですが、解説板の類はまったくなく、どういうものなのか今ひとつわかりません。
そこで、いちど橋から園外に出てみます。
すると、そこには、かつての港町のにぎわいを偲ばせる街なみが残っていました。
細い通りから、船着場へと下りる石積みの階段が、何ヵ所か残っています。
船着場の横手には、航海の安全を祈る恵比寿さまの石造がセットで祀られており、地元自治会による解説板も立てられています。
■現地の解説板より「船着場跡とえびす像」
天保(1830年)の頃から、江戸末期までの、海運隆盛をしのぶ船着場跡と、海上の安全の守り神、えびす像がこの近くに4ヶ所残っています。
恵比寿さまは、それぞれに個性のあるお顔立ちで、眺めて歩くだけでも楽しめます。
堤防から少し下りたところには、醤油蔵やお寺などもあって、歴史的な街なみが味わえます。
さきほど園内から見た時はよくわからなかった水制工についても、こちら側に解説板が立てられていました。
水制工を見やすいところには解説板がなく、解説板からは水制工を眺めにくいという現狀については、改善の余地ありです。
■現地の解説板より「白川の石刎」
加藤清正が治水工事でよく使った方法で、洪水の時水の勢いを弱めて、石垣を守るものです。この近くに4基ありました。
公園の外ばかり歩いてしまったので、先ほどとはまた別の再び渡って園内に戻ります。
敷地は東西に長く、真ん中に野球場を置いて、東側に芝生広場や多目的広場、西側に遊具広場を置いて、全体を一周すれば700メートルくらいある園路で囲んでいます。
芝生広場は、元・河川敷らしい広々としたものです。それでいて、山並みが景色に変化を与えてくれて、楽しく遊べそうです。
多目的広場は、芝生広場よりもスポーツなどでの利用が多いせいでしょうか、いくぶん芝生が剥がれて砂地が出ていますが、要素としてはあまり変わりません。
野球場は、フェンスで囲まれているので、外から眺めるばかりです。
そして一番西にある遊具広場。
くまもん遊具が目白押しの幼児向け遊び場と、もう少し大きな子向けの複合遊具などが仕分けられた形になっています。
この遊具広場だけでも3、000平米くらいあって、まちなかの街区公園よりも大きいので、遊具どうしの間隔に余裕があります。子供たちは、東端の多目的広場まで行かずとも、このあたりで十分に走り回れることでしょう。
すぐ横の河川敷にはグライダーの滑空場もあって、園外に色々と目移りしてしまう小島公園でした。
(2026年8月訪問)

















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