牛神前小公園は、東灘区の御影駅から少し東に離れた住宅地の中にある小公園です。
『神戸市小字名集』には、旧住吉町の小字として牛神(うしがみ)、牛神前(うしがみまえ)が収録されていますので、旧小字を残す公園名だと言えます。
そして、「牛神」と「牛神前」があるからには、この公園の近くに牛神様のお社があったのだろうと思いますが、現在は近くに神社などありません。そこで図書館で調べてみると、神戸市と合併する前の住吉村が1945年(昭和20年)に発行した『住吉村誌』p.82に、次のように書かれていました。
【牛神】明治16年の本村地誌には此地を説明して「牛神東の西南、牛神前の北方にあり。家屋及社一社芝生地あり。」とある。
即ち其の一社とは、現在住吉神社境内に合祀されてゐる大日女神社である。同社は天照大神を祭神とするが、大神は農業の神として牛馬家畜の事をも司り給ふより、一名牛神さんと唱へる様に成つたといふ。其の牛神の鎭座されてゐるより字名とした。
尚牛神東は牛神の東に當り、牛神前は其の前方にあるより名づけられたものであるが古圖では此地を登田と名づけてゐる。
また、同じ『住吉村誌』のp.899には、合祀される前の大日女神社の姿も描写されています。
【大日女神社】(前略)字牛神に鎮座された頃の牛様さんは、百姓の神として境内東西14間南北約20間に及んだ。周圍に土塀を廻らし入ロに鳥居あり、村内より順番に火燈した。9月27日の秋祭には素人相撲が催されて賑はひ、野寄の大日神社と共に附近町村の名物になつてゐたといふ。尚郷土史家辰馬六郎氏は、「六甲山脹南麓の水害に關する所感」に於て、牛神は、雨師神であるとして、古來水禍に惱んだ住民が、此を祀るに至つたものと説かれてゐる。
なるほどなるほど、天照大御神は太陽神ですが、ここでは大地を照らし収穫を支える農業神とみなされ、西日本では農業と言えば牛が重要なので「牛神」なのですね。色々とご利益がある中でも、とくに牛についてお願いする窓口といった感じでしょうか。
でも、後段の引用によれば、太陽神なのに雨も司ることになっているそうなので、神様は八百万柱もおられるのなら、もう少し分業しても良いのではないかとも思います。
「牛神さんの社の跡はないものか」と思い、公園のすぐ北、字牛神のブロックを歩いてみますが、なにぶん住吉神社に合祀されてから100年以上も経つので、あたりはすっかり宅地化しており、『住吉村誌』にあるような14間×20間(約25m×36m)もの広さの跡地は見つかりません。
でもかろうじて、周囲の道路から不自然に分離された三角地を見つけました。
No.2045 須賀森公園で見たように、各地では合祀・移転された後も「故地」として境内の一部が残されて小社が祀られたりすることがあるので、ここなど丁度よいように思うのですが...
まだまだ調べないといけない宿題があります。
同じブロックで、牛神コーポも見つけました。現在の住居表示では「住吉町」も「牛神」も使われていないので、いつか建て替えられる時には、牛神の名は外されることでしょう。
そうすると、牛神の名を残すのは、公園名だけということになります。
さて、改めて園内に戻ります。が、公園としては小さく、それほども書くことがありません。
資料によれば300平米。周囲の開発に伴って整備提供された公園だと思われます。
はっきりとした施設は滑り台&砂場と、ベンチくらいです。
出入口が一つで、奥行きの深いウナギの寝床型の敷地をしているため、滑り台のところまではギリギリ子供たちが入ってくるのかも知れませんが、その奥のスペースには足を踏み入れる人が少ないと思われ、かなり草茫々の状態になっていました。
樹木もよく育っていると言えばそうですが、放ったらかしと言えばそうでもあり、鬱蒼とした雰囲気になっています。
今となっては、ここが神社のような雰囲気すら漂わせている牛神前小公園でした。
(2025年9月訪問)
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