かつて古代から中世に至るまで、淀川の河口近くは流路が安定せず何本もの川が入り乱れ、流れてきた土砂が堆積して、総称「難波の八十島」と呼ばれるいくつもの島がつくられていました。
その一つが加島(かしま)で、水運に恵まれ早くから交易や物流で発達するとともに、平安・室町の頃には徐々に島でもなくなってきて、鍛冶職人が多く住んでいたそうです。
これの北端、神崎川沿いがかつての加島濱ノ町で、No.3907 もすりん橋公園の対岸に当たります。そこにあるのが、加島浜公園です。
と、歴史を偲ぶ話から始めてみましたが、肝心の加島浜公園は、3方向を工場に囲まれた山陽新幹線の高架下にあり、川も島も微塵も感じられない小公園です。
ちなみにこの角度ですので、新幹線も音がするだけで姿を見ることはできません。
道路に向けて一方向だけが開いており、敷地の中央あたりに橋脚があって、おおまかに道路側に幼児向け遊具、奥側に児童向け遊具や健康器具が配置されています。
幼児用のパラレル滑り台。デッキ部分には遊び壁が付いていた模様ですが、壊れた後はただのフェンスで塞ぐという補修が施されています。
砂場は、隙間少なめでフェンスに囲まれている大阪市仕様です。
奥に回ると、ぶら下がってスィーっと滑っていくロープウェイ遊具、
バスケットボールというか、玉入れ的な遊びができる遊具などがあります。
どちらかと言えば、子供向けの遊具よりも、大人向けの健康器具が充実しているとも言えます。近くの工場勤務の方々など、勤務の合間に、毎日少しずつ体を動かすことができます。
こういう混み合った立地だからこそ、公園などのオープンスペースが大切なのですが、とは言えいささか落ち着かない加島浜公園でした。
(2024年10月訪問)
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