苫小牧は北海道最大の工業都市・港湾都市ですが、もともとは製紙業で発展してきた歴史を持ちます。
明治終わりに建設された王子製紙苫小牧工場は、操業のために水力発電や軽便鉄道などを敷設し、これを工場外でも利用できるようにしたほか、従業員福祉のための病院、スポーツ施設、文化施設なども市民にも開放しており、地域の経済・社会の両面で重要な役割を果たしてきました。
そんなわけで、今も苫小牧駅のすぐ隣に巨大な工場がドーンとあり、その周りに社宅などが並んでいるのですが、その一角に王子アカシア公園があります。
上記のような事情と、苫小牧市役所HPの公園一覧に掲載がないことから、おそらく王子製紙による民設民営の公園ではないかと考えます。所在地も王子町ですし。
記念植樹も、苫小牧工場の90周年を記念してのものです。
誰でも自由に入れる範囲は4haくらいあって、市街地の公園としては広い方です。
もっとも、さすがに工場の周りにはフェンスがあって公園とは仕切られているのですが、社宅とはひと続きで、どこまでが公園かと聞かれるとあまり自信がありません。
公園施設として目立つものは少なく、芝生広場、グラウンド、木立、散策路、ところどころに王子製紙関連の記念物が展示されているといったものです。
記念物の中でも目立っているのは、こちらの蒸気機関車と客車。
当初は支笏湖畔での発電所建設のための物資輸送に、建設後は原料用の木材の運搬、後には支笏湖畔への観光客の輸送にと、多目的に使われた王子軽便鉄道を実際に走っていた車両だそうです。
■現地の解説板より「王子製紙軽便鉄道」1996年9月5日
王子製紙が苫小牧工場から支笏湖まで走らせていた軽便鉄道は通称「山線」とよばれ、1908年(明治41年)に千歳発電所を建設するために敷いたものです。ここに展示している機関車は、「山線」4号車で、小樽でつくられました。貴賓車は、1922年(大正11年)昭和天皇が皇太子時代、発電所をご視察されるとき客車をつくりかえたものです。たくさんの人とものをはこんだ「山線」は、1951年(昭和26年)に惜しまれながら廃線になり、この機関車と貴賓車だけが残って、東京の「紙の博物館」に展示されていました。このたび市民の皆さんの熱意によって、ふるさとに帰ってきました。いつまでもあたたかく見守ってください。
後ろに連結されているのは、貴賓車というだけあって、窓から覗くカーテンがオシャレです。きっと座席もペーズリー柄かなにかの布張りなのでしょう。
こちらは、大正9年建立の殉職従業員招魂碑。
いわゆる慰霊碑ですが、大正9年に何か大きな事故があったのか、何きっかけで建てられたのかなど、詳しいことは分かりません。
そんなものを見ながら歩いていると、広場の先の方に、大きな生き物が軽快に歩いているのが見えました。エゾシカです(左中程をご覧ください)。

頑張って付かず離れずの距離から撮影してみましたが、コンパクトカメラではこれくらいが限界です。
デジタルズームをかけて、これくらい。角はわりと短いので、まだ若い個体なのでしょうか。それでも奈良公園のシカよりは一回り大きい体格をしているので、怒らせると怖そうです。
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