鳥取といえば砂丘ですが、いま国天然記念物になっている大砂丘は、江戸時代以降に先人達が木を植え、砂を止め、農地を拓いて砂丘が減っていく中で、最後に残った場所でもあります。
大砂丘とは千代川を挟んで反対側にあたる湖山池北岸あたりも、かつては砂丘地帯だったのですが、1785年(天明5年)、鳥取藩の許しを得た米子の商人・船越作左衛門が移住して植林を始め、鳥取と米子とを結ぶ街道の整備、畑地開拓などに取り組みます。
この船越家の屋号が大寺屋(おおてらや)だったそうで、子孫が暮らした村の名前も大寺屋。
いまは住居表示が導入されて町名からは消えてしまいましたが、その名を残すのが大寺屋1号公園です。
砂丘開拓が始まってから200年以上が経ち、いまは宅地化が進んで周りは住宅ばかり。でも地面がなんだか砂っぽいところには、名残が感じられます。
園内の一角には井戸があるのですが、農地が開拓された後には「浜井戸」と呼ばれる農業用の浅井戸がたくさん掘られたそうなので、これも往時の名残かと、勝手に感じてしまいます。
敷地は正方形に近い整った形をしており、一方向でだけ道路に接しています。この道路に近いところだけを舗装して複合遊具やパーゴラを置き、奥は一面の広場としています。
これにより、遊具に集まっている子供たちの様子が周りからよく見えますし、奥の広場から道路へとボールが転がり出ることも減るので、なかなか良い配置です。
複合遊具は、3種類の滑り台を繋いだもので、背はあまり高くないのですが、これぐらい広いと、幼児たちが飽きずに楽しめるのと思います。
滑り台の間を繋ぐトンネルやラダー、チェーンネットなどのパーツも充実しています。
デッキの下にも、ちょっとした遊びパーツが隠されているのが楽しいところ。
でもいつも砂が吹き付けるせいか、玉の滑りはかなり悪くなっていました。
複合遊具と同じデザインのブランコも横に並んでいます。フレーム柱が太めなので、なんだか力強く感じます。
複合遊具とブランコが統一デザインだった横ですが、揺れる遊具は不揃いなメンバー。コアラ、パンダ、カメ、そしてバイクが並んでいます。
数は少ないのですが、ラクダ型の揺れる動物遊具も商品化されていますので、砂丘にルーツを持つ公園としては、次の改修の機会があれば採用を考えていただきたいものです。
砂っぽいところが楽しい大寺屋1号公園でした。
(2024年8月訪問)
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