友行(ともゆき)公園は、尼崎市の北端、50メートルも歩けば伊丹市に入る市境付近にある小公園です。
「友と行く」と書けば、とても公園らしい名前ですが、この付近のもともとも字名から採られたものです。尼崎市立地域研究史料館刊行の『尼崎の地名』によれば、“名田からきている。早くも建治3年(1277)の醍醐寺文書に野間村友行名として登場する”とありますので、つまりは友行さんの勢力が開発した農地だったということでしょう。
鎌倉時代から何百年もずっと農村でしたが、昭和の中頃に区画整理事業が実施されて、公園も整備されました。それでもまだ隣接地に畑や乗馬クラブなどがあり、尼崎市内では長閑な雰囲気が残る地区だと言えます。
長方形に近い形状の敷地は、中央部に少し盛土をした植栽地やパーゴラがあって二分され、西側が遊具広場、東側がフェンスに囲まれた土敷きの広場になっています。
公園敷地全体が周囲よりも数十センチ高く盛土されている上に、パーゴラ周りはさらに盛土されていることになるので、周囲の区画整理事業の際に、建設残土がいっぱい出たのかも知れません。
広場は背が高いフェンスで囲まれているので、多少のボール遊びも安心です。
一方の遊具広場は、滑り台や砂場、ブランコなども当然あるのですが、それよりも他所ではあまり見たことがないジャングルジム主体の複合遊具が魅力です。
文章で説明してもわかりにくいですが、3本の赤いアーチで外枠を作った中に、ジャングルジムを2つ押し込んで、その間をロープネット、チェーンネットなどで繋いで、1つだけ滑り台を付けたというものです。
滑り台に行くためには、ここをどうにかして登ったり渡ったりしないといけないので、幼児にはややハードルが高めなところが、チャレンジ意欲をかき立てるように思います。
下に入り込んで空を見上げる時の感じも、独特の楽しさがあります。
尼崎市の公園では、時々、このような独自色が強い鉄パイプ遊具を見かけることがあり、勝手にかつての”工都・尼崎”のことを思ってしまいます。
禁止看板がかなりくたびれていますが、こういう掲示は無くなることが理想だとも言えるので、静かに見守りたい友行公園でした。
(2024年1月訪問)
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