尼崎市西長洲町の八幡公園は、西長洲八幡公園の北に隣接する小公園です。
戦時中のこの付近には、現在もある住友精密工業の工場(当時はプロペラ工場)を始めとして大小の工場が立地していたこともあり、空襲で大きな被害を受け、戦後に復興区画整理事業が行なわれています。
公園と八幡神社とで1街区を占める形になっており、公園は北側に、神社は南側に出入口があるのですが、神社の社殿裏からも公園に通り抜けることができます。
改めて、北に向いた公園の正面出入口から入り直します。
尼崎市ではお馴染みの双童子像の後ろに、島状に囲まれた場所があり、ここが慰霊のための平和塔となっています。
こちらが平和塔。
総務省の記録によれば、”尼崎市内における、もっとも大きな空襲罹災地のひとつである西長洲においては、八幡公園内に平和塔が設置されている。昭和37(1962)年8月15日に、地元住民による「西長洲六人会」により建立されたもので、戦災者の50回忌にあたる平成6年までは、毎年空襲のあった6月1日に慰霊祭が行なわれていた。”そうです。
もんぺ姿の母親が、幼子を抱いたデザインとなっています。
■現地の石碑より「平和塔建立の由来」太平洋戦爭末期、昭和20年6月1日午前10時、尼崎市西長洲地区空爆死没者300余柱の御霊を始め、大東亜戦争に於いて戦死され靖国の神として祭祀されている十九柱の御霊を此の平和塔に鎮め、西長洲の里の平和の守護として建立す昭和37年8月15日 西長洲六人会慰霊祭6月1日
さて、平和塔の後ろに回ると、そこが公園としての中心空間。
広場を真ん中において、それを囲むように遊具が配置されています。
北側の遊具は、わりと最近に入れ替えられたものと思われ、まだ新しいカラフルな樹脂製滑り台と砂場が置かれています。
砂場も、昔ながらのコンクリート縁ではなく、ラバー製のものになっているので、最近の製品だとわかります。
鉄棒も、新しいですね。
そうすると、この複合遊具が、園内では一番の古株になろうかと思います。これはけっこう意外な展開。たいていは古くなった滑り台やジャングルジムを撤去して、複合遊具に入れ替えることが多いものなのですが、ここは手順が違っていたようです。
でも部品は新しいものに交換されているので、多少古くたって安心して遊べます。
これからも、子供たちが安心して遊べる世の中であって欲しいと願う尼崎市の八幡公園でした。
(2024年5月訪問)
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