3621/1000 穴師公園(大阪府泉大津市)

2024/05/11

交通公園 身近な公園 泉大津市 大阪府

t f B! P L

No.3620は泉穴師(いずみあなし)神社の境内が公園になっている豊中公園でしたが、その近くに、別に穴師公園もあります。
園内中央部には、年季の入った文字モニュメント。公園にあるものなので、単に眺めるだけでなく、登ったり顔を出したりして遊べるプレーウォールとしての一面も持っています。

もともと溜池だった場所を埋め立てて公園にしており、少年サッカーなら1面が取れる大きな広場、屋外プール、交通公園などが一体的に、かつ隣地には小学校と幼稚園があり、様々な場面で地域の中心となる公園として整備されたことがわかります。

小学校と繋がる出入口もありますが、それほど積極的に開放しているようでもないので、学校公園のラベルは付けずにおきます。

そして屋外プールがあると書きましたが、実際は廃止されて久しいようで、かなり寂しい状態になっていました。そろそろ撤去・再整備が必要でしょう。

またプール横の交通公園についても、機能は廃止されていますが、車道・歩道・交差点などがハッキリと作られており、子供が自転車に乗って遊ぶくらいにはちょうど良い空間として残っています。

プールは夏だけの営業なので、その管理棟を使って交通公園の通年営業ができますから、良い運営スタイルだったと思われますが、いつ頃に廃止されてしまったのでしょうか。

そこから東の方にも、小山を巻くように平坦な周回園路が続いているので、交通公園としてはかなり大きいものだったようです。

現在は、周回園路の中にある小山の東側、幼稚園に近いあたりに斜面地を使った遊具が集まっており、この付近が利用の中心になっていると思われます。

遊具は、斜面地の上にさらに高さを足した滑り台や、昔からあるガケ登り遊具など。

ガケ登り遊具はゆるい曲線を描いており、なんだか尻尾のようなパーツもあることで、恐竜を横から見ているような気分になります。

そう思って改めて見てみると、道路に描いたシマシマ、そこから連なるコンクリートベンチなど、クネクネしたデザインが多用されています。
龍とか蛇とか、そういったものをモチーフにしているように思えてきました。コンクリートベンチは最近の整備だと思うので、ガケ登りの曲線にあわせて、周りを再整備したのかも知れません。

人工芝を敷き詰めた大きな縁台も、クネクネしたものです。

でもこれが蛇だとしたら、すぐ横にいるカエルの水飲みは、ずっと蛇に睨まれているので大変だなぁとも思います。

ところで、穴師(あなし)という少し変わった名前なので由来を調べてみると、泉大津市のHPに、”穴師村は、平安期~鎌倉期にみえ、「直師村」とも書かれた。平安初期の成立とされる「日本霊異記」天平勝宝4(754)年の頃に「和泉国和泉郷下痛脚(しもあなし)村」と記され、常に卵を煮て食べる男が悪報を受ける説話に、足を焼かれ「足痛し」といったことから「痛脚」(あなし)と読み、穴師の地名由来と記している。”とありました。

これだけ読んでもよく分からないので、近所の図書館で調べてみると、平安時代の説話集である『日本霊異記』の中巻の第十にある「常に鳥の卵を煮て食ひ、以て現に悪死の報を得し縁」のことのようです。漢文なので転記ミスがあるかも知れませんが、次のようなお話です。

常鳥卵煮食以現得悪死報縁第十

和泉国和泉郡下痛脚村、有一中男。姓名未詳也。天年邪見、不信因果、常求鳥卵、煮食為業。
天平勝宝六年甲午春三月、不知兵士、来告中男言、国司召也。見兵士腰、負四尺札。即副共往。
纔至郡内於山直里、押入麦畠。畠一町余、麦生二尺許。眼見爝火、践足无間。走廻畠内、而叫哭曰、熱哉々々。
時有当村人、入山拾薪。見於走転哭叫之人、自山下来、執之而引、拒不所引。猶強追捉、乃従籬之外、牽之而出、躃地而臥嘿然。不曰。良久蘇起、然病叫言、痛足矣云云。山人問言、何故然也。答曰、有一兵士、召我将来、押入爝火、焼足如煮。見四方者、皆衛火山、無間所出故、叫走廻。
山人聞之、褰袴見膊、膊肉爛銷、其骨璅在。唯逕之一日而死也。
誠知、地獄現在。応信因果。不可如烏、
慈己児、而食他児、無慈悲者、雖人如烏矣。涅槃経云、雖得人獣尊卑差別、宝命重死、二俱無異云々。善悪因果経云、今身焼煮鶏子、死堕灰河地獄者、其謂之矣。

漢文のままでは、しばらく経つと自分でも何のことかわからなくなりそうなので、頑張って現代訳をしてみましょう。

和泉国和泉郡下痛脚村に、一人の若者がいた。名は知らぬが、邪険な性格で、常に鳥の卵を煮て食う男だった。
天平勝宝6年3月に、知らない兵士がやってきて「国司がお呼びだ」といって若者を連れて行く。見れば兵士は腰に四尺札(※卒塔婆?)を負っている。
やがて若者は山直(※地名)の麦畑に押し込められる。高さ2尺ほどの麦が、若者には燃え広がる火に見えて、「熱い熱い」と叫びながら畑の中を走り回る。
薪を拾いに山に来ていた村人が、それを見て畑から連れ出してくれたが、若者は倒れ伏し、気を失った。しかし、やがて蘇ると「足が痛い、痛い」と叫ぶ。村人が理由を尋ねると、若者は「急に兵士につれてこられて、火の中に投げ込まれ、煮込まれた。四方にも見張りがいて、どこからも出られなかったので叫びまわっていた。」と言う。
それを聞いた村人が若者の袴をまくってみると、すねやふくらはぎの肉が焼け爛れ、骨だけになっていた。若者は一日後には死んだ。
誠に知る、地獄は現にあり、因果を信ずるべきである。鳥も子を慈しむものであり、これを食べるとは無慈悲である。(※この後の説教部分はうまく訳せないけれど、穴師には関係なさそうなので省略)

千年以上前の話なのでしょうがないのですが、茹卵を食べただけでこんな目に合うとは。
楽しい公園だったのに、地名伝承はけっこう怖い話だった穴師公園でした。

(2023年12月訪問)

ブログ内検索 Search

アーカイブ Archive

地図 Map

問い合わせ Contact

名前

メール *

メッセージ *

Facebook Page

QooQ