座喜味城(ざきみじょう・ざきみぐすく)跡は、国史跡であり、世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成要素ともなっているグスク跡です。
15世紀初頭、沖縄本島が統一される以前の「三山時代」に活躍した按司(あじ;この時代は地方豪族の長)である護佐丸(ごさまる)によって築かれたもので、標高約130メートルの丘の上にあり、曲線的で美しい石垣で知られています。
このグスク跡一帯が座喜味城跡公園になっているのですが、なにぶん世界遺産だし、日本の歴史公園100選にもなっているので、いまさら本ブログで解説のようなことを書くこともないので、いつものように見たことをボチボチと綴ってみます。
観光バス用の駐車場などもある南出入口付近に村立博物館があり、その横手から階段で城内へと向かいます。
道沿いはずっと涼し気な松林になっています。沖縄本島でも防潮林や薪林などで植えられた松林はあるのですが、このようにきれいに管理されたところを歩き回れる例は少ないように思います。
松林を抜けると、石垣に囲まれた郭に到着です。
沖縄戦の際には日本軍の砲台が置かれ、戦後は米軍に接収されてレーダー基地になるなどして石垣もかなり崩れた状態になっていたそうですが、復帰後に発掘調査・復元が行なわれて今の姿になっています。
石垣に囲まれた郭は一の郭、二の郭に分かれています。
郭の中に入ってしまうと、建物礎石くらいしか解説板がなく、訪れた人はやや手持ち無沙汰になります。「もう少し詳しく見どころを教えてくれても良いのに」と思います。
ただ、一の郭の城壁に階段が取り付けてあって、城壁の天端に登ることができるので、そこが展望台のようになっていて景色を楽しむことができます。
石垣の上から、これから向かう北出入口方向を眺めます。郭から見ると裏手にあたるので観光客はあまり訪れませんが、こちら側も松林がきれいです。
とはいえ北側はいわばグスク本体のバッファ的な空間で、ちょっとした広場や展望台を兼ねた貯水タンクなどがあるのですが、施設としてはそれくらいで、あとは松林が広がっています。南側は観光客向け、北側は地元向けともいえますが、座喜味集落はグスクの南側に広がっているので、地元の人も意外に行きにくい構造です。
ここが貯水タンク。2つあるうちの1つの屋上が開放されて、展望台になっています。
貯水タンクの上からの景色。先ほど城壁の上から見ていたのとだいたい同じ方向を見ているのですが、ガケに近いところに来たので、谷の深さ・険しさがわかりやすくなりました。
グスクとしてみると、北側からの防御に強く、攻める側からすると石垣が遠くからでも良く見えて威圧的だったのかな、などと考えてみます。
ちなみに貯水タンクの外壁は石垣風。
ステージ付きの大きな広場は、遠足などで訪れる子供たちにはちょうど良いスペースです。
さて、松林の中を通って南口に戻ろうとしていると、博物館の裏手に出てしまいました。そこで見つけたのは、大量の厨子甕(ズシガメ)。
沖縄では、亡くなった方の遺体をいったん墓室内に安置して風葬とし、やがて肉がなくなった頃に改めて骨を洗って改葬する洗骨の習慣があります。洗骨後の遺骨を納める骨壷が厨子甕で、古い時代のものは石製、やがて陶製の壺、さらに陶製の家型などに発展します。
石製のもの。発達初期だけあってシンプルなデザインです。
陶製壺型のもの。周りには蓮の装飾などがついており、かなり巧緻なものです。
陶製家型で、龍や獅子などの飾りが発達したもの。民芸品的なインテリアにもなりそうです。
おそらく博物館の行なった調査で古墓などから見つかったものの置き場がなくて建物裏に集めているのだろうと思いますが、経緯があるものだけに、たくさん並んでいると少し怖くなってきます。
石垣と松林と厨子甕が印象に残った座喜味城跡公園でした。
(2021年11月訪問)
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