2943/1000 網干公園(兵庫県姫路市)

2022/03/03

身近な公園 姫路市 兵庫県

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姫路市内でも西部にあたる網干(あぼし)地区は、姫路城からは10km以上離れ、川の流域も姫路は市川・夢前川、網干は揖保川と異なっています。
ですので「姫路といえば姫路城。姫路藩の城下町」というのは誰しも思うところなのですが、網干は揖保川上流にお城がある龍野藩の領地であり、川と海との舟運の接点として賑わう町だったそうです。

現在は、埋め立てられた臨海部には大工場が並びますが、かつての川港の周囲には江戸時代からの町割りに明治~昭和の古い家並みが残り、趣ある景をなしています。

そんな網干の旧市街地の端っこあたりに、網干公園があります。

隣には網干公民館が建ち、旧市街地には収まりきらない公共施設をまとめて持ってきた一角という感じがします。

園内は、基本的には一面の大きな広場で、隅の方に遊具がまとまって置かれたスペースがあるというシンプルな構造です。

遊具はわりと最近に入れ替えられたのでしょう、まだ新しい4連ブランコや滑り台、ジャングルジムなどがありました。

ちなみに背景に見えている瓦葺きの大きな建物は、沿岸部に塩田が広がっていた明治・大正の頃に建てられた旧大蔵省の赤穂塩務局網干出張所の倉庫・庁舎です。
今は公園の外で企業所有になっているのですが、公園との位置関係から見て、元々は出張所がもっと大きな区画を占めており、それが一部廃止になって公園用地に転用されたのではないかと考えています。

もしかすると公園開設当初から数十年の長きに渡って現役を続けているかも知れないのが、投てき板。
でもサッカーのキックターゲットが流行って以降に、一度くらいはペンキ塗り直しが行われたことでしょう。

この投てき板の裏手の方にもスペースがあったので覗いてみると、そこはプールの跡地でした。
もともとは25mプールだったところを埋めて、半分は砂場に、半分は芝生広場にしたようです。

はしごや飛び込み台は、そのまま残されています。

さらに奥には、幼児用の浅いプールの跡地も残っていましたが、こちらは埋め戻されることなく、立入禁止の状態として取り扱われていました。

ちょうど私が訪ねた時に高木剪定の作業車が来ていたのですが、古くなったものは入れ替えたり、直すところは直したりして時代とともに少しずつ姿を変えていっている様が見て取れる網干公園でした。

(2021年11月訪問)

【2022年3月追記】
この記事を公開した所、以前の姿をご存知の方々からコメントを頂きました。プールの話、ローラースケート場の話、船溜まりの話など興味深い情報があったので、1975年(昭和50年)の空撮で確認してみました。

まずプールなのですが、画面の右上の方にある網干小学校のHPによれば学校内にプールが竣工したのが1977年のことだそうなので、その2年前のその2年前にあたる1975年時点では公園内のプールは健在です。

また、公園の中央にかなり大きく楕円形にコンクリート舗装された面があり、これがローラースケート場なのだと思われます。これが廃止されて今の全面土敷き広場になっていることについては、現地では痕跡もなく、まったく気づきませんでした。
1980年の空撮では楕円形がなくなっており、それは小学校にプールができた時期でもあるので、その頃に一度、公園の大きな改修が入ったのではないかと想像されます。

この頃には公園やプールの南側一帯には大きな樹木がなく、土地利用も粗なことから、それ以前の塩田関係などのまとまった利用が終わって、土地利用が転換する途上の状況が見て取れます。
公園だけでなく南側の空き地なども子供の遊び場になっていたのではないでしょうか。

国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より整理番号:CKK7411
コース番号:C6/写真番号:17/撮影年月日:1975/01/24(昭50)

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