2920/1000 大川公園(兵庫県淡路市)

2022/01/30

盛土山 淡路市 兵庫県 歴史公園

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淡路島では、道路関連の公共事業として、県道沿い眺めの良い場所に駐車場付きの小公園「緑のみちしるべ」がいくつか整備されています。

ここ大川公園もその一つなのですが、整備以前から一部確認されていた貴船神社遺跡の範囲にあたることから工事に先立って発掘調査がおこなわれ、それによって貴重な製塩遺跡が見つかったために遺跡紹介をメインにした整備内容へと転換された経緯を持ちます。
カメラの画角の都合で全部は入りませんでしたが、下写真で右から順に貴船神社の鳥居、公園の主要部、駐車場4台分ほどを挟んだら国道です。

けっして大きくはない敷地なので、もともとは「ちょっと花壇でもつくって、あとはベンチを置こうか」くらいの整備予定だっただろうと思うのですが、現在は製塩遺跡の様子を再現した展示物、モニュメントなどがコンパクトに設置されています。
しかし、これだけでは遺跡の紹介としては不安が残ったのか、かなり長文の解説板が設置されています。

■現地の解説板より「貴船神社遺跡」
ここ大川公園一帯は、弥生時代から古代にかけて塩づくりを行っていた貴船神社遺跡が存在していました。兵庫県では、はじめての石敷炉が確認された遺跡であり、塩づくりの過程が推測できる貴重な遺跡です。播磨灘に面した海岸部に立地して おり、明石市から西播磨の海岸はもとより瀬戸内海に浮かぶ家島諸島・小豆島や四国まで遠望できます。塩づくりの遺跡は 弥生時代末から奈良時代にかけて長期間にわたって継続しています。

塩づくりには、濃縮した海水を作る工程とその塩水を煮詰めて塩を取り出す2つの工程があります。そのはじめの工程には「万葉集」に見られる「藻塩焼き」をあてる考えがありますが、今回は明らかにできませんでした。調査で明らかになったのは 塩を取り出す工程です。濃縮した塩水を製塩土器に入れ、石敷きの炉に並べて煮詰め塩を取り出す作業を行っており、炉跡が 22基以上確認されています。そのうちの19基は古墳時代末から奈良時代で、大阪湾沿岸では塩づくりが衰退する時期にあたります。

また、塩づくりに携わった古代人は万葉集や日本書紀にみられる野島海人と考えられます。貴船神社遺跡で最も盛んに塩づくりをした時期が野島海人の活躍したことと関係あるかもしれません。

出土遺物は多量の製塩土器の他に須恵器・土師器・弥生土器・新羅陶器・黒色土器・石器・鉄器・銅製帯金具があります。最も古い時期の遺物は弥生時代中期末(約1800年前)の壺があります。

製塩土器は、弥生時代末から出土しています。これから遺跡が廃絶する奈良時代まで製塩土器が含まれています。製塩土器が多いのは古墳時代末から奈良時代で、この時期が貴船神社遺跡の塩づくりの中心と思われます。

野島海人が使ったと思われる遺物に鉄製釣針・タコ壺・舟形土製品があります。海との繋がりを示すものとして興味深い資料です。その他注目される遺物として新羅陶器があります。朝鮮半島から遠く運ばれてきた土器で、野島海人と海との関係の深さを示すものです。把手にヘラで描かれた顔が大変ユーモラスです。

北淡町教育委員会 写真資料提供:兵庫県教育委員会

ただ、解説板と立体展示が今ひとつリンクしていないので、想像を膨らませる必要があります。
手前の人は、「濃縮した塩水を製塩土器に入れ、石敷きの炉に並べて煮詰め塩を取り出す作業」をしているのだとわかりますが、奥にある海藻を集めて干している場面から、土器の中に塩水が入るまではどういう工程になるのでしょうか。

こちらも解説板にある「石敷きの炉」なのだろうと思いますが、上の丸い炉と、この四角い炉とには何か違いがあるのでしょうか。実際に発掘されたものの形状の違いなのか?

さて、上の立体展示から少し離れたところに盛土山があって、その頂上にもなにやら像が立っていました。
階段は完全に草に覆われていましたが、立入禁止ではなかったので無理して登ってみました。

すると、そこにいたのは野島海人(のじまのあま)たち。小さな鉢を持ったり、袋(網?)を担いだりしています。

■碑文より「野島海人(のじまのあま)像」
朝名寸二 梶音所聞 三食津國 野嶋乃海子乃 船二四有良信(あさなぎに かじのおときこゆ みけつくに のしまのあまの ふねにしあるらし)万葉集巻六 山部赤人

右記の歌で知られるように、塩づくりを行い当地域で活躍した野島海人をイメージしたものです。

つまり、万葉集などに「野島海人」という名で登場する、この地域に暮らした人たちの像だということです。
でも、その人たちなら、さっき塩をつくっているところをたっぷり見たんだけどな...無理して登らなくても良かった...

兵庫県教育委員会が2001年に発行した『兵庫県文化財調査報告219:貴船神社遺跡』には、「これまで、北淡路の野島については、『日本書紀』や『万葉集』において「野島の海人」なる記述がみられるなど、海に深く関わりをもつ人々の存在が知られていたが、考古学上それが明らかにされたことはなかった。今回の調査では、まさにその「野島」において海に生活基盤を置く人々の生活の跡が確認できたことになる」と記されており、文献上の記述と考古学上の発見がリンクした重要な遺跡を抱える大川公園でした。

(2021年9月訪問)

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