山下亀三郎(やました・かめさぶろう)は幕末の宇和島に生まれ、1911年(明治44年)に山下汽船を創立、政界や軍部にも食い込んで一大海運会社・財閥へと育て上げた代表的な船成金として知られる人物です。
この山下が神戸・須磨に持っていた邸宅跡が1970年代にマンション開発され、そのまわりに3つの小公園がつくられました。
そのうちの高倉町東小公園。大邸宅の跡にはそぐわぬ250平米ほどの狭小公園です。
とくに花壇などもないのですが、ハナニラでしょうか、白く可愛い花が園内のあちこちに咲いていました。
敷地は小さく、冒頭に写っている範囲ですべて。
変形の三角地を使った緑地型の公園で、ベンチやテーブルのほかにはこれといった施設はありません。
20メートルほど歩いて敷地の北端まで行くと、そこはもう公園の外。マンションの敷地なので入ることはしないのですが、ここに大きなクスノキが残されていました。
■現地の解説板より「大楠の由来」樹齢約160年/樹高19.0m/幹周り3m88cm/枝幅東西25.5m、南北15.0m当ガーテンハイツ須磨は山下汽船の創立者・山下亀三郎氏の屋敷跡地に昭和51年(1976)建設されました。この大楠木は屋敷時代には正面の大きな長屋門を抜けた進入路脇に聳えていました。現在もその勇姿を現し、中庭の築山も当時の姿を留めており、私達住民にとって誇れるシンボルとなっております。尚、石原慎太郎、裕次郎兄弟は父親の関係で幼少時代をこの地で過ごしておりました。(追記.東、西、北小公園、市道脇の縁地と裹山は建設時に神戸市へ寄贈されました。)
石原慎太郎と裕次郎兄弟の父親である石原潔は、山下亀三郎と同じ愛媛県南予で生れ育ち、その縁あって14歳の時から亡くなるまで山下汽船に勤務し、山下に重用されたそうです。
神戸支店に勤務した期間もあり、その時に慎太郎と裕次郎の兄弟が生まれたようなので「別邸内にあった管理人舎などにお気に入りの社員を住まわせていたのかなぁ」などと考えます。
小さな公園から、思わぬ知識を得た高倉町東小公園でした。
(2021年3月訪問)
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