2486/1000 中町公園(長崎県長崎市)

2020/07/16

身近な公園 長崎県 長崎市

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JR長崎駅から徒歩4~5分、市街地の一角にある中町公園は、中町通りを挟んで坂の上下2つに分かれた小公園です。
下段側に建つ記念碑によれば、かつて、原爆からの都市復興事業の中心を担った長崎復興工事事務所があった場所だそうです。

こちらがその記念碑。

■碑文より
昭和20年8月9日午前11時2分原子爆弾によって浦上地区を中心に市街地の殆んどが廃墟と化した。その復興のため土地区画整理事業が実施され近代的文化都市が誕生した。
ここに本事業の推進者一同の献身的な努力をたたえ長崎市の恒久平和と繁栄を希い長崎復興工事事務所跡地に碑を建立する。

(中略)昭和59年12月吉日 長崎県

後に、終戦・被爆50年を迎えた年に、裏面に工事事務所に勤務しておられた方々の記銘板が追加されています。実際には個人のお名前がズラッと並んでいるので、引用は冒頭のみ。
復興区画整理事業そのものは1975年(昭和50年)まで続いているので、事務所が1955年(昭和30年)に閉鎖されたという記述に引っかかりますが、おそらく9年間で一気に事業の筋道をつけて後に引き継いだのでしょう。

■記銘板より「長崎復興工事々務所勤務者名簿」
この記銘碑は、旧長崎県長崎復興工事々務所が昭和21年に開設され、同30年10月に閉鎖されるまで、同事務所に勤務された職員の名簿であり原爆の惨状を回想する時、共に汗を流し、空腹に耐え、日夜復興に青春を捧げた仲間たちの絆は絶ち得ず、、相互の労苦と友情に感謝し、特に今年は、終戦と被爆50周年の年に当たり恒久の平和を願い記銘したものであります。
平成7年6月吉日

さて、振り返りはそれくらいにして、現在の中町公園。
道に沿って細長い形をした下段側は、ほぼ一面の広場です。

どのように写してもあまり代わり映えのしない景色ですが、地域のお祭りなどには使い勝手のよいサイズだと思います。

市街地だけあって、道の狭さのわりには交通量の多い道路を注意しながら渡ると、坂の街の傾斜地形を取り込んだ上段側に入ります。

全体を均等に傾斜させるのではなく、坂の上部にきつめの斜面を取り、下部はできるだけ平坦にすることで、園内を広く使えるようにしています。

きつめの斜面部分には、その高低差を利用した複合遊具が設置されています。
遊具の足元には柔らかいクッション舗装が敷き詰められているので、比較的最近に改修工事が行なわれたようです。

ただ、遊具そのものはそこそこ使い込まれており、設置から5年くらいは年数が経っているように見えます。クッション舗装だけ後から追加したのかも知れません。

あと、面白かったのが公園の外に向いている地区のゴミ収集場。
公園の中から見ると植栽が施されている築山を、実はコンクリート製の横穴が支えているという構造になっています。発想が土木的というか、合理的というか、とにかく印象に残ります。

市街地にあって使い勝手の良さそうな中町公園でした。

(2019年11月訪問)

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