2450/1000 世田谷区森厳寺川暗渠沿いの小広場群(東京都世田谷区)

2020/06/10

身近な公園 世田谷区 東京都

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世田谷区の北沢界隈を歩いていると、暗渠(地下河川)の上を使った歩道に出くわしました。
その場でスマホの地図を見てみると、No.2180 大山谷公園の近くから暗渠が続いているようで、川の名は森厳寺川というようです。

この歩道沿いの100メートルあまりの区間に、あおぞら公園、北沢さくら広場、つつじ広場、北沢4-23広場と、それぞれが家一軒分くらいの広さしかない小公園・広場が連なっています。
おそらく、この地区特有の都市環境や防災上の理由などがあって、小河川の暗渠化と既設住宅の撤去、小公園整備などが一緒に進められたのだろうと想像します。

一連の公園の中で、いちばん南にあり、また一番大きいのがあおぞら公園です。

といっても変形敷地で800平米ほどなのですが、暗渠上の歩道と一般道路とが交差する角地にあるので、数字以上に広がりが感じられます。

敷地の半分くらいが土敷きの広場、もう半分くらいが芝生広場になっており、遊具などの施設は土広場の方に集まっています。

小さな公園なので、遊具は幼児向けのものばかりです。
滑り台、大人の胸高くらいのネット遊具、揺れる動物遊具などがありました。

揺れる動物遊具の向こうには、北沢さくら広場が見えています、

北沢さくら広場は、10メートル四方くらいの敷地の真ん中に園路、というほどでもない通り抜け道があり、そこにサクラが2本植えられています。
ちょうど家一軒分くらいで、ひろばの向こうにある坂道から下りてきたところに突き当たるので、防災上の理由での通り抜けのために、用地確保・公園整備が進められたのではないかと考えます。

でも、このサクラの樹がアメリカ合衆国から贈られたものだと聞けば、小さな公園でも目が止まりますね。

■現地の解説板より『桜の木の由来』
このひろばの桜は、ワシントン・ポトマック公園の桜の子供です。ポトマック公園の桜は1912年に日本からアメリカに贈られたものです。この桜からとった苗木が、レーガン大統領来日記念として、世田谷区に42本贈られ、そのうちの2本を1987年にこのひろばに植えました。(樹種ソメイヨシノ)

北沢さくら広場から、30メートルほど川跡を遡上すると、川跡の東側に「つつじ広場」があります。
先ほどのさくら広場には地名の「北沢」が付いていましたが、こちらは無印の「つつじひろば」。きっと世田谷区のどこかに、別のさくら広場が先にあったのでしょう。

確かにツツジは植えられているのですが、灌木のツツジと比べて背の高くなる樹木も色々と植えられているので、ツツジはやや影が薄いように思います。

変形敷地の一番奥に鉄棒があり、そのさらに奥の日あたりの悪いところにもツツジがありました。さくら広場と比べると、公園名樹木を取り上げた植栽計画になっていないように感じます。

「隙間を埋めた」ようにしか見えないのが悲しいところです。

そんな「つつじ広場」の端っこに、小さな坂道があります。
この坂道は、20メートルほどで住宅地内の一般道に抜けるのですが、下写真左手の段上が、また別の公園「もくせい広場」になっています。

坂道を登りきったところから、つつじ広場ともくせい広場を同時に眺めたところ。
こうしてみると一つの公園として扱っても良いように思いますが、きっと公園になった時期や経緯が異なるのでしょう。

もくせい広場は、300平米ほどの整った敷地形状で、敷地中央のよく目立つところにギンモクセイ(多分)が植えられています。

景石や飛び石が置かれて庭園風の仕上がりになっており、他の広場と比べて、ややグレードの高い整備内容です。

飛び石の先には、大きな枝垂桜までありました。

つつじ広場に戻って、川跡を10メートルほど遡上すると、北沢4-23広場に出くわします。短い区間に公園を作りすぎて、とうとう植物名のネタが尽きたのでしょうか。

ここは広場というよりは、完全に通り抜けの歩道に植栽を加えたものですね。

ただ、やはり周りの住宅地と、川跡の歩道とをまっすぐ結べる位置に配置されているので、計画的に公共用地を取得していった様子がうかがえます。

いつかもう少し詳しく、まちづくりの経過を調べてみたい森厳寺川暗渠沿いの小広場たちでした。

(2019年11月訪問)

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