下写真が、古宮住吉神社の鳥居の下からNo.2309を眺めたところ。細長い複合遊具がうっすらと見えています。
ちなみに、漁港の名前にもなっている「古宮(こみや)」は、付近の大字名なのですが、その由来の解説板が、神社境内にありました。
かつては「今」だったものが、やがて「古」になることは自然ですが、航海の無事を喜んで「今」を「古」に改めるというのは今ひとつよくわかりません。
■現地の解説板より「常夜灯由来」
古くは「今里村」と称したが中世に「古宮村」と改めています。
1592年(文禄元年)、朝鮮出兵の途中この沿岸(今里瀬)を航路中、四囲不明の闇夜に難渋したが、燈明を目印に無事着岸出来た事を喜び古宮と命名し、住吉神社に寄進田と朱印13石を与え、古宮千軒お寺が四ヶ寺、坊さん養う飯盛松と俚謡を伝承しています。
古宮住吉神社
さて、本題の遊び場。
神社本殿の裏手、面積にしてざっくり500平米くらいの範囲が遊び場になっており、滑り台やブランコ、シーソーなどの遊具が一通り揃っています。
滑り台は、4連ブランコとつながった複合型。
滑り部分がブランコに対して斜めになっているところがデザイン的に珍しいように思います。利用動線の交錯を避けるためでしょうか。
ジャングルジムも、ハーフ太鼓橋のラダー遊具と複合したものです。
さすがに、シーソーや鉄棒は、ほかの遊具と複合できなかったようです。
おそらくは、海岸の埋め立てにともなってNo.2309ができる以前から、付近の子供たちに親しまれていたのであろう古宮住吉神社の遊び場でした。
(2019年10月訪問)
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