2078/1000 亀島小学校記念公園(東京都江東区)

2019/04/08

江東区 身近な公園 東京都

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さて、江東区の北端、墨田区との区境となる横十間川と北十間川とが分かれるあたりは、明治の頃までは柳島砂原と呼ばれる町外れでしたが、昭和に入ってから都電の柳島車庫・営業所が建てられました。
その後、1972年(昭和47年)に車庫が廃止され、そこに1981年(昭和56年)に区立亀島小学校が建てられました。がしかし、21年後の2002年(平成14年)に学童数減少により廃校。跡地の半分くらいが福祉施設になり、残った校庭部分が亀島小学校記念公園になりました。

■現地の解説板より「亀島小学校の歴史」
昭和56年(1981)、「江東区立亀島小学校」が地元の強い要望によりこの地に創立されました。以来21年を経過した平成14年(2002)、学童の減少により廃校となりました。
小学校跡地の一部を公園として開園するにあたり、その名を後世に伝えるため、公園の名称を「亀島小学校記念公園」としました。

小学校の寿命として21年は短すぎるようにも思うのですが、足りなくなったらチャッと作って、余りだしたらサッとつぶしてしまう柔軟な政策だったのでしょうか。
それでも、その間の卒業生たちにすれば大事な母校。園内にはもう一つ記念碑がありました。
■現地の記念碑より「江東区立亀島小学校記念碑」
昭和58年(1983)4月、江東区立亀島小学校は当京都交通局柳島営業所車庫の跡地に第一亀戸小学校・香取小学校から分離し創立された。以来、21年間、976名の有能な人材を輩出する。
平成14年(2002)4月、第一亀戸小学校と統合し、その校歴を第一亀戸小学校に引き継ぐ。

  江東区教育委員会

ちなみに公園の隣にできた福祉施設の名前はカメリア。
亀戸なので「カメ」イメージを活かした名前にしたかったのだろうと思いますが、カメリアと聞くとむしろ「亀有(カメアリ)」を思い出してしまいます。

そして、小学校から高齢者福祉施設へと転じた土地利用の変化には、「少子高齢社会」という時代の流れを感じてしまいます。
かつては校舎から子供たちが飛び出してきて校庭の遊具で遊んでいたのでしょうが、今は施設のテラスの眼の前に、公園の健康器具が並びます。

子供向けの遊具は、滑り台くらいです。

それよりは、おそらく学校時代から残るイチョウの樹が大切にされています。

このイチョウを眺める向きにパーゴラが置かれていて、イチョウ中心でデザインされた様子がうかがえます。

思い出のイチョウ(多分)だけに、東京スカイツリーにも負けじと、末永く育って欲しいものです。

(2018年12月訪問)

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