2031/1000 大蔵前公園(兵庫県姫路市)

2019/02/11

身近な公園 石碑めぐり 姫路市 兵庫県

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姫路市の塩町・魚町と言えば市内随一、すなわち播磨随一の飲み屋街なのですが、江戸時代には掘割に沿って蔵が並ぶビジネスセンターでした。
播磨地名研究会編著『新・姫路の町名』(2007,神戸新聞総合出版センター)によれば、塩町は “慶長の町割り(1608)で成立。町名の由来は、西に船場川が流れ塩蔵、米蔵が多く立ち並び、東の元塩町に対して西塩町、大蔵前町と名づけた” とあります。

そんな船場川のそばにある大蔵前公園。公園への出入り専用の橋も架かっています。

ただ、飲み屋街の一角ということもあって、園内はどことなくくすんだ印象があります。

レンガの目地やコンクリートが汚れていることもありますし、訪れた時にゴミや吸い殻が散らかっていたことも悪印象の原因です。

樹木の周りの地面を完全にコンクリートで覆ってしまっているのも、どうかと思います。

遊具は滑り台と揺れる乗物遊具があるのですが、公園と周りの町の雰囲気からして、そうそう子供が集まってくるようにも思えません。

それよりも、この公園を特徴づけているのは、下の石碑(おもいっきり逆光ですが)。
幕末の姫路藩で、河合惣兵衛を始めとする勤王派の藩士たちが処罰された「甲子の獄」にまつわるものです。

■「姫路藩勤王志士終焉之地」の碑
此の碑は昭和20年敗戦に伴う占領政策により除去せられて護国神社裏に侭23年を過ごしていた。明治百年を記念し勤王八志士の偉勲と壮烈な最期を偲び広く浄財を募って茲に復元再建する事を得た。

昭和43年10月20日
社団法人日本郷友連盟姫路郷友会
後援:姫路市、同商工会議所、同陸上自衛隊
協賛:城南自治振興会、城南校区子供会

尊皇攘夷運動で処刑されたかわいそうな志士が「河合惣兵衛」だというシャレのような話なのですが、その碑がここにある理由が知りたくて調べてみると、姫路市のHPで読むことができる『広報ひめじ』No.669.昭和59年10月15日発行の「特集 姫路城中濠めぐり」に、次のように書かれていました。

国道2号線の船場川にかかる橋が白鷺橋。橋の南400メートルに、外堀を埋めて造成した大蔵前児童公園があります。大蔵前というのは藩の米蔵のあった所。
また公園とその北側一帯は、藩の牢獄や処刑場のあった位置で、元治元年12月(1864)に処刑された勤王派の武士河合惣兵衛ら8人の最期の地という碑があり、刑場であった昔を知ることができます

という事は、姫路藩では米蔵の横に刑場があったということなのでしょうか。

そう聞かされると、今のくすんだ印象も理解されてしまうような大蔵前公園でした。

(2018年12月訪問)

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