1780/1000 西町公園(東京都台東区)

2018/04/30

ラジオ体操台 関東大震災復興 身近な公園 石碑めぐり 台東区 東京都

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西町公園は、関東大震災からの復興でつくられた小学校と公園が一体となった学校公園の名残を残す公園です。本来は1街区の北半分に西町小学校、南半分に西町公園という形で建てられたのですが、平成に入ってから小学校が統廃合でなくなり、跡地には永寿総合病院という大きな病院が建っています。

とは言え、周囲が立て込んだ市街地なので、関東大震災からの復興で開園してから20年も経たないうちに公園敷地の一部が削られて学校用のプールが設置されていたようです。
国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で1948年(昭和23年)撮影の写真を見ると、校舎の南に横長のプールが作られている様子がよくわかります。
さらにこの時期には、プールの西(左側)の公園敷地も削られて、住宅として使われています。戦災復興の時期なので、家を無くした人向けの公営住宅が建てられていたのでしょう。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より/整理番号:USA/
コース番号:M860/写真番号:155/撮影年月日:1948/03/29(昭23)

ちなみに、このプールは学校が無くなる頃までずっとあったようで、1989年(平成元年)の空中写真にも写っていました。ということは50年くらい使っていたことになるので、最後の方はかなりボロボロだったのではないでしょうか。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より/整理番号:CKT893/
コース番号:C4/写真番号:33/撮影年月日:1989/10/20(平1)

と、いうことで現在の園内でも、小学校があった頃は公園の南端から小学校に向けて、まっすぐ入っていける構造になっていた状況が伺えます。

病院になってからは公園との繋がりはとくに考慮されておらず、建物は公園に背中を向けるようにそびえています。
病院の足元のフェンス沿いに公園を通り抜けるのにちょうど良い園路が設けられており、この園路沿いに色々な記念碑が設置されています。

まずは小学校の名残を残す少年少女のブロンズ像。「友情」と名付けられています。

こちらはブロンズ像よりも少し古いでしょうか。
台座に刻まれた「至誠・勤労・分度・推譲」は二宮尊徳の教えですが、上に載っているのは少年少女が花冠を掲げているようなデザインのレリーフ。もしかすると、もともとは二宮金次郎像だったものが戦中の金属供出で無くなって、戦後に上だけ載せ替えたのかも知れません。

続いては、「春は上野に咲きにおう...」で始まる西町小学校校歌の碑。

そして、これは小学校とは関係なく、和凧関係の石碑。
お土地柄で「下町に和凧をつくる職人さんでもいたのかなぁ...」となんとなくは思うのですが、もう少し和凧についての解説、石碑建立の背景などを現地で教えて欲しいと感じました。

そして、それら石碑&通り抜け道を避けて、遊具がバラバラと設置されています。
滑り台とブランコは、児童向けと幼児向けがそれぞれ配置されている親切設計。

パンダ、コアラ、ラッコと歴代の人気動物を集めた揺れる動物コーナー。

揺れない動物は、キツネ。

砂場の中にはサルやウサギの顔がついたスツールも置かれています。

なかなかよい表情をしています。

シンプルでも根強い人気がある丸太の遊具。

遊具ではありませんが、ラジオ体操台もありました。

一本立ちしてガーッと目立つものはないのですが、石碑にしろ遊具にしろ数が多く「チームワークで勝負!」という感のある西町公園でした。

(2018年1月訪問)

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