これを記念して、その東経135度子午線が山陽道と交わる場所に建てられた石碑が、その後の測量技術の進展に伴って場所を変えつつも、今に残っています。
この石碑のある付近、すなわち東経135度子午線が通過する町が、1972年(昭和47年)に住居表示を実施する際に付けられた名前が天文町。町の北端から200メートルほど離れたところには明石市立天文科学館があるのですが、そこは天文町ではないという微妙な間柄です。
その天文町の2丁目に、天文町2丁目公園があります。
200平米ほどの小さな敷地は、幹線道路から少し街区に食い込むような形で四方を道路に囲まれており、パッと見たときに不自然さが目に付きます。
と言っても地上からの写真ではわかりにくいので、グーグルマップを。
中央の道路に囲まれた長方形が、この公園にあたります。
ピンときたので帰ってから調べてみると、この場所は明石城下町の東端で、城下町防衛上の理由などから西国街道をクランクさせていた箇所にあたることがわかりました。
ここが南北方向の道路が直線となるように改良され、その残地が公園として利用されるようになったのではないかと考えられます。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より/整理番号:MKK611 コース番号:C16/写真番号:182/撮影年月日:1961/05/22(昭36) |
つまり、もともとは下写真で赤線のようだった道路を青線に付け替えた時に、両方の道路に挟まれるようにして残った用地を公園や石碑の建立場所などの公共用途に使うことにしたのでしょう。
さて現在の公園。面積は200平米ほどなのですが、四周が道路になっているので、見た目の狭さが緩和されています。
遊具としては、滑り台&砂場と、揺れる動物。
揺れる動物は古びたパンダ型2が並んでいます。まったく同じ遊具が2基並んでいると、なんとなく整備した側のやる気の無さを感じてしまうのは偏見でしょうか。
思いがけず子午線と明石城下町のことに詳しくなった天文町2丁目児童遊園でした。
(2018年2月訪問)
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